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え~、本日朝から雨のため山や水辺は諦め、寝る。もとい、寝た。
3連休の3日とも、とりあえず寝る方向で過ごしました(笑) 今日などは昼過ぎに起きて、再び二度寝。ワシどれだけ寝るねん。 おかげで肉体の蓄積疲労はかなり緩和されたとみえ、凹みも修復されましたので(笑)、午後…つか夕方?にお出かけ。 母と行く旅行の切符を買いに行ったのでした。 みどりの窓口のおねぃさんは、時刻表を出して画面入力しては調べ調べては入力し、やっとワタクシのご所望の切符が手に入りました。 目的地は、かなりメジャーなわりには大阪からはとっても行きにくい場所であることが判明。 電車で5時間バスで1時間半もかかり、都合6時間半の旅。 温泉に入れたらそれでイイんだけど、かぁちゃんがソコ行きたい♪というのと、二人っきりで旅行なんて初めてだから、どこであろうと楽しみなんですが♪ おそらくワイワイ話しているうちに5時間なんてあっという間に過ぎていくと思われます。 そして帰りは東京経由。 なので「どこか行きたいトコはないか?」と聞いてみたのですが、「東京なんてよぅわからんもん~。どっかオモロイとこある?」というお返事。そりゃそうだ。 由緒あるとか歴史あるとか有名な~とかではなく、なんでも基準はオモロイかどうかなので、なかなか選択が難しい(笑) 年配に人気らしい「とげぬき地蔵は?」なんて勧めたら「んなもんトシヨリの行くとこやろ?わたしゃ関係な~い♪」と抜かしより(笑) 「じゃ銀座の辺りは?」「ブランドやら売ってるだけやろ、んなもん見たってしゃーない!」とのたまう。 「東京タワー昇ったかてビル見えてるだけやろ?通天閣と変わらんしな~」って(笑) 以前にディズニーランドに行った帰りに、皇居や明治神宮を回る外人さん向けハトバスに乗った♪らしく、なんで外人さん向けなんや?と思ったら、ちょうどその頃英会話を習ってたので英語のアナウンスが楽しかったそうな…( ̄∀ ̄;) 東京駅近辺2~3時間で往復できるオモロイとこ…。 かなりな難問を突きつけられ、うーんうーん(-"-;)と唸ってたら、「もぉええで、別にどこも行きたない」とな(笑) えらいあっさりしたお返事に拍子抜け(笑) まぁどっちゃにしろ今回の旅行は、かぁちゃん主導で進む予定でございますwww そして、今日読んでたのは「宇宙となかよし」Qさんのブログ。 1記事の文字数がハンパなく多く、読み応えがあります(笑) 「感謝」という言葉を免罪符にしてないか?とか、そう!そうなのよ~という内容がてんこ盛り。 感謝って「感謝します」って言ってするものではなく、内から湧き出てくるもんだもんね。 勝手に感謝しちゃってる。あぁぁぁありがたい♪って。 そうなれないときは、ムリに感謝を感じなくては!と気負わない。 気持ちが素直に感じられないときに感謝をしようとすると、どこかしら思考が作り出すせいなのか、「…だからこうなってほしい」とか「感謝するんだからこうなるはずだ」みたいな取引的ニュアンスが発生したりする。 神様の前で手を合わせて「ありがとうございます」と感謝の意を表したときに、心の底から感謝が沸いてない場合は「今日もお守りください」とか「今日も良い日でありますように」とか、何かしら取引を持ちかけていたりしませんか?(笑) だから私は神前に立ったときは、「こんにちわ~♪来ました~♪」なんてご挨拶するだけ。 そしたら勝手にココに来れたことが嬉しいなぁ♪ありがたいなぁ♪って気持ちが自然と沸いてくる。 そしたら「ありがとうございました♪」って来れたことのお礼を述べていたりする。 だってわざわざ守ってくださいとかお願いしなくても守ってくれてるし。 良い日かどうかを決めてるのは私たちであって、神様はなにがあっても良い日だって思ってるだろうし。私たちの価値観に神様が合わせてくれよぉってお願いしても…ねぇ?(笑) まぁ上記のブログに書かれていることとはまた少しニュアンスが違うけれども(詳しくはそちらを参照ください)、究極の感謝ってなんだそれ?というものの一端を垣間見たくらいの私だけども、感謝を免罪符に使うな…というのはとっても良くわかる。 先祖供養について書かれてることも、とても納得。 阿部さんも「私は墓参りはしません」と書かれてましたが、それも同じく。 ちなみに私も、父や娘の墓参りはしてません。 それじゃ娘が寂しがってるだろう、なんて心配してくれる声もありますが。 理屈うんぬんじゃなくて、「行かなくていい」という感覚があるので。 それは以前書いていたブログでも書いてたけども、お墓っていうのは現世に残された人の心を癒すためだけの場所であって、あの世に逝っちゃった人がずっとそこに留まって世話をされることを待っているなんて思うのは、非常にナンセンスだなぁ~と思っていたわけです。 あるいは墓に行って呼びかけたら、あの世と繋がれるとか。どこでもつながれるのに。 だから代々長男が墓守をしなければならない…なんていうシキタリも、なんとナンセンスなことなんだろう…と常々思っておりました。 伝統なんだから当たり前でしょ!という反論がまだまだ根強くて、うちの母でもそう言うのだから、私が娘の墓にはかれこれ数年行ってないとか言うとぶっ倒れるかもしれません…。 でも、必要ない♪って心から思うんですよ。こればかりは仕方ない。 だって「お父さん♪」と呼びかければすぐそばにいるし、「娘♪」って声をかければ、ん?って振り返ってるし(ふだんはフワフワと白い世界を楽しそうに飛んでる)、特に彼女はこの世にはまったく執着していないので、あ~そういえばアナタが私の母親役だったよね♪くらいの感覚みたいです。 儀式とか作法とかしきたりとか、それは人々が考え出した方法で、思考の域を出てない行為だなって思います。 それで現世の人々とのコミュニケーションがうまく取れるのであれば参加してもいいと思うけども、それが信念となってしまっている場合は厄介ですよね。 墓参りをしなければ故人が寂しがっているとか思っちゃうと、あの世の人たちってばみんな構ってちゃんになっちゃうじゃん(笑)。 それは自分が周りの人に放っておかれたら寂しい、という気持ちの裏返し。 だから死んだ人だって放っておかれたら寂しいに違いないという思い込み。 ちょー3次元的思考からの発想ですよね。 現世にいる私たちがお参りすることで貴方達を癒してあげましょうなんて、とんでもなく思い上がっているようにも感じるし。 癒してもらっているのは、どちらかといえば現世で肉体を持っている私たちの方なんじゃないのかな。私ゃ父にはあれこれフォローしてもらってるよw それに生きていた当時の関係と同じく、儀式などに頼らなくても気持ちだけで通じ合う間柄だと思うんだよね。 Qさんも書いていたけど、自分が故人となったときに娘たちにずっとずっと墓参りをしてもらいたいかというと、全然そんなことは望まない。 もっとこんなことに心を砕いてないで、自分が今楽しいと思うことを存分にしなさい、って思う。 義務感や決まりだからって死んだ人を大切にしなくちゃ…なんていう固定観念に囚われていてほしくはないと思う。 楽しいなぁ!とキラキラの笑顔で過ごしていてくれることのほうが、何倍も何倍も嬉しいと思う。 ほらよく以前のTVなんかでやってた降霊術みたいなの、あるでしょ。 あーゆーのでさえ、死んだ人と交信した場合、「自分のことは忘れて幸せになってほしい」なんて言葉を伝えたりしていたけども、ほんとそうだと思うよ~(笑) ずっとそれに囚われている人だとか、過去を振り返ってる人だとか、自縄自縛しちゃってる人に、自分の子ども達…ひいては子孫たちになってほしいと思う先祖はいないでしょ。 私なら、子孫には何が大事なのか…をしっかりわかってほしい、って願うな♪w そんなことを読みながらツラツラ思っていたのですが。 具合悪い~( ̄д ̄;)という彼さんと、ちょっぴり会って様子見て。 来てくれたのに、しんどそうだから早く帰って寝なさい、なんてことを言ったりして(爆) あは♪ いやぁ~どちら様にも傍若無人で申し訳ない♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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