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テーマ:ココロ(1186)
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先週の土曜日、十数年ぶりの同窓会はとても楽しい集いになりました。 某教育大学中学理科のクラスは21人が正式人数で、 必須授業や野外実習も多くて仲がよく、 名前しか登録されていない人、 ほとんど顔を合わさなかった人、 今全く連絡がつかない人を除くと、 主要な数は16人でそのうち11人が集まりました。 心配だったお店も、行ってみると個室になっていて、 とても盛り上がって、その内のガッツと呼ばれる友達(Sくん)が (一人住まいなのに)先日一戸建て6000万円!の家を買ったことから 来年は、ガッツの家で同窓会をやろう、ということで、別れました。
そして翌日ボーッとしながら、母とどうしても冷蔵庫を見に行かないと いけなくて電気屋に寄った帰りのことです。 知らない番号の携帯から電話がかかってきました。 「○○市の警察署のものです、△△大学の☆☆(私)さんですか?」 「え、はい・・・。」 「昨日、△△大学の皆さんで同窓会をされたと思いますが、 Sさんも参加されてましたね」 「はい、一緒に参加していました・・・。」
「実は、今朝、ご自宅で亡くなられていました」 「え!!!・・・・・・・・。」 「昨日の様子を詳しく聞かせていただけますか?」
パニックで真っ白になり、訳のわからない中、 聞かれるままに、昨日の様子、お酒の量、帰り際の様子を伝えました。 Sくんと最後に別れたのは実は私で、梅田から西中島南方まで 最後の10分一緒で、「体に気をつけて、またね!」と別れたのです。 話をしていて、自ら命を絶ったわけではない、 そのことだけは何となくわかったものの、 急性アルコール中毒ではないか、との不安を抱えたまま、 クラスのみんなにそのことを告げる、という重い使命を担いました。 楽しい時間を過ごした一人ひとりに、その翌日に 友の死を伝えるのは、あまりにも辛く、 ショック、パニック、放心 さまざまな思いがみなに交錯する中、長い長い一日を終えました。
翌日朝、私が警察の方に、 来年はSくんの家で同窓会をしよう、と言ったのを 聞かれたご親族から、ぜひその家で、 仮通夜をするので、皆さんで何時でも何人でも結構ですので、 きていただけないでしょうか、と電話がありました。
急遽、連絡し、先日来れなかった4人を含む10人が 集まって、訪問しました。 突然のことに誰も受け止められないまま、 当然、もっと受け止められていないお父さんから 思いや、死因をお聞きしました。 結果は、アルコールもやはり微量で問題はなく、 亡くなったのは明け方、心不全なのか熱中症なのか、 全くわからない突然死でした。 その後、お父さんから、ぜひ同窓会での息子の 様子を聞かせてほしい。 とのことで、一人ひとりその時の話などを言いながら、 途中からは、毎回彼で大笑いするネタを たくさん紹介して、夜遅くまでみんなで思い出話を語り合いました。
私の年賀状はいつも波乱万丈の身の上話が 書かれていて、いろんな人が気になるのか、 連絡がくることが多いのですが、 ガッツも同じで、それが縁で、話を聞いてほしい、 と3月頃に会って、4時間、 金八先生どころではない信じられない事件・事故の連続の中、 信じられない親たちを相手にやっていかないといけない辛さの中、 教師仲間の中でも、一番大変な大阪市の公立中学校の先生として、 がんばっている話や、失恋話などを聞いていました。 それがきっかけで、4月に4人の大学仲間と会い、 それがきっかけで、今回の同窓会へとつながり、 同窓会の話題はいつになく彼中心で、 次回はガッツの家でやろうと 全部彼が中心で進んでいたようで、 不思議な思いをみなが感じています。
昨日の通夜は、前任の学生中心に500人以上が集い、 今日の葬儀は、今年赴任したばかりの学校を中心に数百人が集いました。 私たち同窓生のお花も一番前の中央に置いていただき、 一番最初に花を入れてあげてほしいと2列目の席を用意してもらって、 出棺の際には、参加した4人で、 棺の台車を押して、最後のお別れをしました。 その後、ぜひとのことで、親族の方との食事の席に 入れていただいて、そこでも思い出話をし続けました。
あまりに突然で、まだ誰もが実感できていません。 私は、同窓会をしたから亡くなったのではないか、と責めました。 同窓会に参加したほかの人は、 お酒を勧めたからなくなったのではないか、と責めました。 参加できなかった人は、 どうして駆けつけなかったのか、と責めました。
ただ唯一にして最大の希望は、 お父さんや弟さんが、 「こうして年を重ねて同窓会なんて、なかなかできんもんです。 ぜひこれからもずっと続けて、みなさんの絆を深めていって もらいたいです。 最後にみなさんと会っていい思い出を作れて、 ほんまに息子は幸せもんやと思います。 これからもぜひ続けていってください。お願いします!」 と言ってくださって、 弟さんの「『ガッツの会』っていう名前とかでしてもらって」 という提案で、これから「ガッツの会」として、 毎年集い会うことを、皆で約束しあいました。
楽しかった語らい、突然の別れ、新しい誓い、 たくさんのことが一気に訪れた5日間です。 クラスの誰もが気持ちに整理はついていませんが、 残ったものは生きないといけない。 それぞれが一生懸命生きて、 そして元気な姿で、また「ガッツの会」に集いあいたいと思います。 それが彼への一番の供養だと、皆で決めました。
ガッツ、安らかに眠ってください。 合掌。
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