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カテゴリ:帝(ミカド)の息吹
明日香村の牽牛子塚古墳の石室は、今まで、自由に
おりて見学することができていました。 (
P113 から んが、これからは、なかなか、近づくのも難し そうになりました。^^ この石室は、凝灰岩(写真)でできていて、 今回、調査のすすんだのは、その石室を囲む柱状の 巨大な切り石部分。そこは、安山岩(写真) でできていたそうで。 古墳の形状八角形のことをアサガオの漢名で 「牽牛子」といい、墳丘をこのかたちにするのは、 天皇のみだとか。 被葬者は、「石の女王」とよばれていた、女帝、 斉明天皇と、その皇女、間人皇女(はしひとのひめ みこ)のふた柱とほぼ断定したよう。 「間人皇女と同年代の女性とみられる歯などが出土 していた」って!ドキドキしますね~~ もう、今や、ツタンカーメン王の死因だってつきと めることができる世の中なのだし、歯で性別、年齢 を特定することなんて、なんでもないことですね。^^ あちらのほうが、さらに、2000年遡る そうなってきたら、あの、益田岩船の奇岩、巨石も、 斉明天皇と、間人皇女の石室と用意されてたのかも? と、思えてきます。 こちらは、花崗岩(写真) なのだそうですが、 現在の様子は(朝日新聞2010,8.4(夕)) 「ますます勝手に 関西遺産」から こんな感じで、竹がうっそうと生い茂ってます。 ところが、昔は、こんな感じだったようで (「直木孝次郎と奈良万葉を歩く(秋冬)」p111から 「大和名所図會」1791(寛政3)年 ) この30年ぐらい前までは、下の図のようだった ようです。竹は、山を手入れしないと、どんどん はびこってきてしまいますから。 奈良のあちこちに点在する、不思議な石の謎が、 すこしずつ解明して行くのではないでしょうか。 どきどきします おもしろいところで、
なども読んでみたくなりました。 行ってみたいところ、読みたい本、、、、秋ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/09/10 06:00:39 PM
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