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カテゴリ:本
火曜日に行った枚方宿で、思い出した本が
思い出したというか、、、読んだのは、このお盆の頃 だったのですが 今年は、日中、節電対策でじっとしているために、本 を異常にたくさん読みました。。この「花はさくら木」 のあと、こわ~~い本を何冊か読んでいたので、ずい ぶん昔に読んだみたいに感じてしまったのでしょう 今、パラパラとページをめくって、チェックしてある ところをながめると。。。 -----------------------------p336 ・・・気の遠くなるようなはるかなかるかな昔、この あたり一帯、北は岩倉地方より。南は木津、さらには 奈良盆地につづく山城の地は。ただひとつの湖沼であ った。 ほう、と田沼は興味深げにうなずく。 京の大半が湖底だったのだ。ところが、その後地面 が隆起して、湖沼のいちばん深いところだけが残った。 それが巨椋池である。これももちろん、気の遠くなる ような大昔のできごとだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー と、このへんは伏見宿のあたりのことだったかな? 田沼というのは、田沼意次のことで、小説では、ほん と、ステキなジェントルマンに描かれてました 隆起してきたんだったのか。。。縄文の温暖化がひい て海面が下降し、流域に砂がたまったのかと思ってい たのだけれど。。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーp343 ・・・昔、象が通ったときはものすごかった」 享保十四(1729)年のことだから、船頭はまだ 若かった。そのころ、枚方渡しの水夫だった彼は、川 に浮かべた船から遠くに巨大な白象をみた、思わず拝 みたくなるような神々しさだった。 将軍吉宗が交跡国(ベトナム)に注文した白象が広東 から船に載せられ、長崎に来て歩いて江戸へ向かった。 七十日あまりかけて江戸に着いたが、四月二十四日、象 の一行は枚方宿に泊まった。このとき、ふだんの人口が 1600人ばかりの枚方は、10万人の見物人であふれ返った。 ・・・・・ いつのまにか船のまわりに山艘、四艘の小舟がまとわり ついてきて、 「くらわんか牛蒡(ごんぼ)汁、あん餅くらわんか、巻き すしどうじゃ、酒くらわんか」 と乱暴な売り言葉をがなりたてる。 「いらん、いらんぞ。はたへ寄るな、寄るな」 と船頭が大声で追い払おうとする。 「芋はどや、しんおくらわんか、くそくらえ」 「なるほど、これがくらわんか舟か。聞きしにまさるあつ かましさ」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー くらわんか舟からのこうんな乱雑な言葉は、身分制度の 厳しかった時代でも、許されていました。さて、ここで 問題です。分かった人は、コメント欄に書き込んで下さ い。正解者のなかから抽選で。。。なんにもありません が。^^; ところで著者の辻原氏は、和歌山の田辺出身の方だった と思います。今夜からまた、雨が降るとか。。。ご心配 なさっておられることでしょう。。障りのないことを願 っています。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/09/08 07:14:53 PM
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