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カテゴリ:お出かけ
まずは、枚方公園駅近くのルポデミディさんとこで、
はらごしらえ そっから、かささぎ橋へ なんかな~~写真が全然違う。。もちょときれいなん やけどな~。残念や。 他のブログさんとこのきれいなのを見てるほうがええ かささぎ橋の写真 他県にも同名の橋があるようですね。^^ さて、いわれが書かれていました。 文字化すると、曰く 天野川とかささぎ橋ーーーーーーーーーーーーーー 天野川は、四条畷田原を源流として磐船渓谷を刻み、 交野市、枚方を流れ淀川に合流する。 川砂白くゆるやかな流れは古くから天上の銀河と見な され在原業平をはじめ平安貴族のあこがれる歌どころ でもあった。 いつの頃からかこの川に橋が架かった。古代中国の七 夕説話によると、天の川にかささぎが群れ集まって橋 となり、牽牛と織女との橋渡しをするといわれている。 この説話にちなんでかささぎ橋と呼ばれるようになっ た。 鎌倉時代に淀川を下った中司内侍(なかつかのないし) は、 「これやこの七夕つめの恋渡るあまの河原の かささぎのはし」 と詠んだ。 江戸時代かささぎ橋は京街道の橋で、 「河内名所図会」にはたくさんの橋脚をもち欄干のな い土橋が描かれている。 明治時代の道路制により、京街道は国道2号線となり (後に同1号)、かささぎ橋は国道橋に昇格した。 昭和7年、下流に国道が新設されたのに伴ってかささ ぎ橋を移り、近代的な鉄鋼製の橋に変わった。その後、 60年間の役割をはたし、今回の架け替えとなった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (適宜改行、書き換えあり) 上の赤字のところ補足 伏見天皇に使えた女官の日記で、西暦1285年にあ たるそうです。 以下日本古典文学テキストさんから 「中務内侍日記」(適宜改行、そのたを施した) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 晦日に里に出でて、九月四五日のほどに、尼崎といふ所 に行くに、京(みやこ)を夜深く出でて、鳥羽殿ちかき 程にて、夜やうやう明け行く空に、木々の梢も色づきそ むる比なれば、艷なるほどにて、なかなか面白し。 舟に乘らむとするに、數知らずさりあへぬまで舟多きに、 聞き知らぬ樣に、おそろしげなる聲したる者ども、ひし めくを聞くにつけても、引きかへたるしきも哀にて、北 山殿おもひ出でられて、如何にとだにいひ合はする人も なし。はるばる漕ぎ行くに、河霧立ちて、來しかた行先 も見えず。 禁野(きんや)、交野〔河内國交野郡にあり〕といふ所 過ぐるに、音にのみ聞きわたるを、と思ひてしばし見る に、遠ければさだかにはあらねど、芝野の中より鳥の立 つを、「雉(きゞす)にやあらむ。」などいへば、いに しへもありとばかりはおとに聞く交野の雉今日見つるか なまた橋多く過ぎぬる中に、 「これなむ天の川〔河内國交野郡にあり〕 に侍る。」といふを見れば、橋やぶれて、その形(かた) ばかりぞ僅かに殘れる。 これやこの七夕づめのこひわたる あまのかはらのかささぎの橋 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 当時は、おんぼろだったみたいですね。 枚方、奥深いですね~~、また行きたいな。 前回の枚方宿 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/04/13 04:02:58 PM
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