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2016年02月19日
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北杜市武川町の文学史 神代桜詠歌 『武川村誌』一部加筆

山高実相寺 神代桜を詠む

伝へ言ふ、今より一千八百十余年前、景行天皇の皇子日本武尊(やまとたける)東夷征定の帰途此の地に駐まり紀念に此の桜を手植せらるると、其の後千数百年を経て日蓮上人此の地に巡錫し適々此の木の衰弱せるを見其の樹勢回復を祈られしに不思議にも次第に繁茂し今日に至れりと。抑も此の寺は日蓮宗身延山の末寺にして開山は波木井伊豆守入道日応にして、永禄中蔦木越前守本村大津より今の地に移転せり、而して今の地は山高五郎左衛門(武田太郎信方の裔)の宅跡なりともいう、其の何れの時代に植栽されたものなるやは確知し難きも伝説は上記の通りにして老木にも似ず枝葉はよく繁り全校に着花すること若木の如く之を高僧の法力などに鰭びつけるのも左こそと思はしむるものあり。

 

 と記している。老樹なるが故に文学的にも実に多く詠じられた。

「甲州山高邑桜樹碑」がある。

この樹碑は建設されなかったので次に記しておく。いつの日かはこれが碑の実現を望むものである。

甲州山高邑の桜樹の碑

峡(甲斐)の山高邑は一条氏の城址なり。精舎有り、実相寺と曰う。昔日蓮上人峡中を遊化し、法を説かるるの処なり。南面に老桜有り、周囲七尋、蓋し千年以上の物なり。遠条の鳳翥(ほうしょ)し、蟠根の蹲(うづくま)る処なり。春時に至り花開くや、芬芳四(よ)もに聞え、之を望めば雲の如く、一大奇観なり。

相伝う、後陽成帝の皇子華頂王、幸燈祠に諦居すること数年、常に帰らんと懐い、悒快(ゆうおう)を嘆いて楽しまず、但だ花時毎(つね)に樹下に来りて遥遠してこれを諷詠し、以て懐土の情を忘る。是を以て文人墨士の遊賞する者、今に至りて相踵(つ)ぐと云う。夫れ峡には勝区奇迹多し、しかも草木も常と異なる有り。桜は老い易きものなり、しかも千載無く生意尽きず、高大繁茂すること是の如し。其の盛なる山豆に土地の常に非ざるの以ならずや、抑も亦た大士擁護の如に有るものか。甘棠(かんどう)の詠、召南古柏の歌、蜀中に於けると樹の異なるに非ざるなり、其の人を思うなり。独り斯の樹の麗華なる、風韻を嚢者に慕い、芽芳を来世に伝えざるべけんや。之に係くるに銘を以てす、曰く、峡の土は秀麗にして、其の山は崎嶇たり。何ぞ彼(かの)穣(ゆたか)かなる、斯れ桜の華、千仭本擢んで、万畝陰は敷く、煒々(えいえい)たり煌々(こうこう)たり、異香衢(ちまた)に満つ、姑射(こや)雪を封じ、赤城霞を起す。維れ皇国の産、八紘所無し、祝んや復た千載をや、久しく栄えて枯れず、大士は法を説き、帝子は遊娯す、観者は賛咲し、操觚(さかずき)は踟蹰(ちちゅう)す、桜は皇国に生じ、所在に能く育つ、芳野と泊瀬と、数百千域、未だ斯の如きを開かず、寿、かつ郁々、生意これ隆きは、神の初くる所、今、逸異を著く、維れ石之れ勒(しる)す、諸を己往に観るは、伝の如く極まり罔(もう)けん。

   万延元年庚申の春 機山公十世従四位下前侍従 源信之撰

 

峡中詞藻詩賦篇(昭和三年九月廿日発行、原漢文)

  山高桜 富岡耿介(敬明)

古桜、蟠屈すること幾千年、板は九泉に到り、枝は天を蔽う、

酔うて花陰に臥し、語を聴くを悦ぶ、前身は、我も亦た秦を避くるの仙なりしか。

  同   小野牧荘(泉)

老樹、大いさは牛を蔵し、慈門、根抵を寄す、

春風、花は一時に、僧は任す、艶雲の底。

  同   甲斐  桜井義令

旭影、花に当りて、雪色新なり、天、好景を将て詩人に付す、

山桜の樹底、風雨無し、応に覚めん、良章佳句の春。

  同   同   竹村細香

巨幹、桜を重ね、花、花に族る、神州の名木、最も誇るに堪えたり、

艶態、幾回か変るを看来れば、朝には是れ淡雲、夕には是れ霞。

  同       加藤鉄現(楙)

 岡を過ぎ、寺に入れば、限、先ず明かなり、欄煙たる千枝、縦また横、

独り怪しむ、風流使人の記の、曽て一句の清評を費やす無きを。

  同       荒木花渓

百尺の峰朕、半空に聾ゆ、暗雲、暖雪、春風に映ず、

蟠根動かず、千年古り、傾け圧す、江湖、万紫紅。

 餓鬼嗌(のど)  物 茂卿(荻生徂徠)

陋俗、浸りに伝う、餓鬼嗌を、元来、天女の琵琶台ならん

渓声、長広舌は猶在り、誰か識る、妙音は是れ弁才なるを。

  同       田 雪翁(田中省吾)

当時の喪乱、情を傷ましむ可し、餓鬼の嗌中に、弁櫻を蔵す、

尺蠖(かく)、屈し来りて、自在に伸ぶ、石床、咫尺、雄城を作す。

  観花磯 (柳沢村の西北方に在り)荻生徂徠(茂卿)

行くゆく峡口を過ぐれば、馬、飛ぶが如し、首を回らせは桃源、翠徴を隔つ、

 黄髪、垂髫(ちょう)今も尚在り、依稀(さもにたり)、指さして観花磯を説くに。

 使君田(字を町尻という、兵部丞の後、弥太郎と称する人の開きし田なりとぞ)

 註 柳子沢吉保の祖父信俊の住居            

  同

一片の石田、我が公を詰んず、雨時、歳々、流風を憶う、

当時、応に九推の地たるべし、厭わず、人の田舎翁と呼ぶを。

  桜三首     石原常山 (守政)

幽寺の一株、高きこと二ならず、年を経る幾万、更るがわる相驚く、

誰か知る、実相、真如の月、独り桜花に向かえば、枝頭清し。

  二

日本に王と称す、走れ此の時、大鵬、万里、垂天の枝、

若し怒翼の、南海を図らんと期さば、桃李、梅花、之れに北面せん。

  三

雪の如きの山桜、三月寒し、白雪、燦欄、天に徹して寛し、

春風、若し花を吹き散らす有らは、州里、一纏の玉盤と為らん。

 山高神代桜   甲斐 桜井義令(白州町横手)

古寺のものときゝしを来て見れば さとの家居も花の下がげ

 同       甲斐 清水謙光

咲きにほふ千もとの花を一本に 集めて見する心地こそすれ

 同       甲斐 八代駒雄

七ひろにあまる桜は七国を たつねてもまたあらしとそ思う

 同      甲斐  小野 泉(明野)

山高のひともと桜咲きぬれば よそには春のあらしとそ思う

 同      甲斐 輿石守郷(長坂~甲府)

名にたてるひともと桜さきぬめり 霞いろつく山たかのさと

 同      甲斐 高見沢胤親

いく千代も人や見つらん雲井まて 匂ふか甲斐の山高のはな

 同      甲斐 八巻直哉

千代経ても花の色香はいやまして 老木の名さへ山高のはな

 同      甲斐 歌田正賢(韮崎)

しつ枝よりほつ枝もなへて桜木に 日かけまほゆき山高の里

 同      甲斐 三枝雲岱(高根)

大津山大木の桜ひともとほ 千もとにまして世ににはふなり

 同      会津 村上 博

やまたかの老木の桜咲きにけり ふもとの里も香に霞むまて

 同         深江遠鷹

山たかの大木のさくら幾千代か 経にけん色の奥そゆかしき

 同      甲斐 穂坂 郎

山高の一本さくら咲きにけり ここにのみふる雪と見るまで

 同         落合直言

里の名の山よりもげに世に高く 聞えて立てり花のひともと

 同         塚川豊一

たくひなき大樹の花をあふき見て そらにうかるゝ我心かな






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最終更新日  2016年02月19日 14時45分47秒
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