2306343 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年03月03日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
●武田軍の兵糧
兵糠は軍役衆の自弁(?)
<例>永禄8年、信玄は上野箕輸城を攻略、付近を占領、前年の秋が豊作で、箕輸・松井田をはじめ、方々の小さ在要害城に兵糧がたくさんあった。それを武田軍は三割の利息をつけて将士に貸し与えた。年末に決算があり、信州の者も甲州の者も、
その筋の代官衆へ元利ともに返済したという。
<解説>占領地で食料を与えられても、それは支給ではなく貸与であり、しかも3ヵ月(箕輸城落城は9月29日に3割の利息までとられたわけである。
<例>武田勝頼が天正7年8月(推定)。信濃更級郡綱島兵部助宛書状
今年上州へ出陣する。在陣は20日を過ぎることはないから、特別(軍役人数以上の)、人員をつれてくれば忠節である。陣中で人員を調査し、定数以上の人員に対しては、兵捜等を支給するからそのつもりでいるように云々
<解説>」
・在陣20日間の兵糧は当然綱島が負担すべき尼が、軍役状に定められた以上の人員をつれて来た場合は、その増加分は武田氏から兵糠を支給する。
・ このような兵糠自弁(自賄)は武田氏に限らず、鎌倉時代~戦国時代まで多用方法。
<例>大坂冬の陣・夏の陣において徳川氏は全軍30万人に兵糠を支給。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年03月03日 20時28分50秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X