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天正7年(1579)
1月12日 正親町天皇,河内債南部郷(南部町)円蔵院住持桂岩徳芳を妙心寺住持に勅請〔円蔵院文書〕 2月21日 勝頼,武田分国替洞門法度追加2ヵ条を制定〔大泉寺文書・佐久恵雲寺文書〕 3月17日 上杉景勝,上杉景虎を御館誠に攻め越後鮫尾誠に走らせる,景虎は24日自刃(26) 景虎は北条氏致の末弟で三郎氏秀といい,一時信玄の養子として武田三郎と名乗る〔上杉系図〕 この月勝頼が富士山北室神主小佐野能秀を越後守にする〔小佐野文書〕 3月24日 これより先、上杉景虎と景勝が交戦を繰り返すが、景勝の方が優勢で景虎は御館城から鮫尾城に走り、この日、遂に自殺する。二六歳(上杉系図) 4月12日 勝頼,栗原郷海鳥寺の門前百姓の普請役を免許〔海鳥寺文書〕 4月23日 勝頼,駿河江尻に出陣〔家〕 5月11日 勝頼、駿河藤枝堤再興の工事完成まで藤枝堤の被害田地耕作の郷中の普請役を免ずる〔平野文書〕 5月23日 勝頼,駿河富士北山の山作・木剪衆に馬62疋の駿遠往還の諸役を免許〔狩宿村弥左衛門所蔵文書〕 6月24日 勝頼,甲斐二宮美和社に4ヵ条の禁制を出す〔美和明神社文書〕 7月10日 勝頼,中郡筋宮原郷(甲府市)興蔵寺 に禁制を出す〔興蔵寺文書〕 この日勝頼が駿河大宮の鎰取鎖是内記に神楽人の欠如を戒め,大宮境内に塔を建てることを許す〔鎖是家文書〕 この日勝頼が武蔵・上野の地を略して廐橋城に入り、武田信豊に広木城を攻めさせる〔宇津木文書〕 8月29日 勝頼,上野に出兵しょうとして繩島兵部助らに佐久郡岩村田に参陣を促す〔綱島文書〕 9月13日 勝頼,駿河黄瀬川で北条氏政と対陣〔家忠日記〕 9月17日 勝頼,駿河での戦況を上杉景勝に報ずる〔上杉家文書〕 10月20日 勝頼の妹菊 姫,上杉景勝に嫁す〔上杉家文書〕 10月27日 勝頼,小石和筋永井郷(八代町)薬師堂の屋根葺替費の勧進を近郷に許す〔瑜加寺文書〕11月2日 勝頼,陣中留守居役に積水寺城の警護、信州より越後への兵糧移出,裏方の風紀等を戒め,鉄砲玉薬製造を催促〔小河原村村松家文書〕 11月5日 これより洗,駿河大方衆三浦義鏡が用宗城で討死に この日,勝頼が義鏡の老母に親書を与え,義鏡の遺跡を継ぐために、その係女に惣九郎を入質させ,老母には隠居分30貫文,惣九郎妻には衣裳免を義鏡の次女には合力10貫文を義鏡在世中のごとく与え,さらに義鏡菩提寺に5貫文を寄進することを予約し,すべて諸役を免許する〔駿河須山渡辺文書〕 11月13日 穴山信君が駿府河辺の革作職人に普請役・田役を免許〔七条文書〕 11月16日 勝頼,駿河陣中より留守居の跡部勝忠に,信越国境,妻篭口の警備,鉄砲玉薬調達等を指令〔禁州古文〕 11月21日 勝頼,男浪主税助に知行95貫文を安堵〔万沢文書〕 12月1日 勝頼,駿府浅間宮造営の番匠らの細工役を免じて宮中の作事に専心させる〔静岡浅間社文書〕 12月21日 穴山信君が番匠高山飛騨守犀江尻誠の井楼・屏などの造作を命ずる〔鈴木文書〕
天正8年(1580) 1月26日 穴山信君,河内領湯之奥(下部町)の佐野文右衛門尉,大崩の佐野孫三郎の各私宅1軒の棟別請役を免許〔門西美貞家文書・佐野文右衛門家文書〕 2月23日 これより先,勝頼が祖父信虎の7回忌法要を行うため,信濃佐久竜霊寺住北高全祝を招請したが老病のため謝辞,この日勝頼が北高を慰問〔竜雲寺文書〕 3月5日 穴山信君,唐松院やその末寺の門前百姓の・諸役を免許〔市松院文書〕 3月7日 勝頼,北条氏政を撃ち相模・伊豆を平定するため信濃埴科郡練光寺住泉良に.戦勝を祈願させる〔東光寺文書〕 3月9日 これより先,中郡筋山之神郷(田富町)が水損のため,勝頼は同郷の御家人らの普請役等を免許し川除の再興に努めさせる〔三井幸大家文書〕 これより先、中郡筋山之神郷が水損に苦しんでいた。 この日、地頭穴山信君が同郷の御家人三井右近尉・河西五郎右衛門尉・窪田兵部右衛門尉らの普請役等を免じて堤防の再興に努めさせる(三井幸丸家文書) 3月15日 勝頼,駿河浮島原に出陣,伊豆三島の北条氏政と対陣,この日甲相の水軍が伊豆重須沖に戦う〔正木文書〕 閏3月9日 勝頼,亡き先妻竜勝寺殿(遠山氏・信勝生母)の菩提所,高遠龍勝寺の寺規を定める〔竜勝寺文書〕 閏3月23日 織田信長の将柴田勝家,当時越中に蟄居,家運再興を策する小笠原貞慶に書を与え,上方の形勢と織田・武田両氏の国勢の比較を提示し,信長への帰属を勧める〔笠系大成〕 4月19日 勝頼,駿河三保神社々家配下の左衛門四郎らが,武田家の早船役の勤めを賞し塩釜役を免許〔三保社家太田文書〕 石山本願寺教如,檄を甲州一向宗坊主衆・門徒中に飛ばし,宗門の敏信長打倒を促す〔超願寺矢文御書〕 摂津石山本願寺の新門主教如が、甲州の一向宗坊主衆・門徒衆らの一向宗徒に矢文御書を飛撤し、宗門の敵信長打倒に決起を促す(超瞑寺矢文御書) 5月23日 真田昌幸,勝頼の命により上州沼田在城衆に軍令を頒つ〔長国寺殿御事蹟稿〕 6月19日 勝頼,黒川金山衆依田兵部左衛門尉・田辺民部右衛門尉らの,毎月馬一疋の往還の諸役を免許〔依田泰八家ら文書〕 この日勝頼,信濃坂城耕雲庵に抑堂銭利倍徳役を許し,併せて門前新造在家3軒に郷次の普請役を免許〔耕雲寺文書〕 7月20日 本願寺領如,勅命を奉じ紀州へ退去後,新門主教如らの軽挙を難じ,甲州坊主衆の自重を求める〔万福寺文書〕 8月11日 仁科盛信,高連城に移り勝頼を助けて武田軍の退勢挽回を図り,軍令を頒って兵備の充実に努める〔等々力文書〕 8月14日 穴山信君,源三(石川氏カ)申請の傳馬を江尻・興津・由比・内房・万沢・南部・下山・岩間・甲府まで出すことを許す〔石川要次郎家文書〕 8月16日 勝頼,甲州秤座古河彦太郎らの細工奉公を賞し町棚1軒あて請商売役・利倍役・宿次の請役を免ずる〔守随彦太郎家文書〕 8月24日 勝頼が去る18日の戦いに中島大和守が功を立てたので感状を与える〔中島紀次郎家文書〕 8月27日 これより先,秋山下野守・跡部淡路守・羽中田・鮎沢らと上州箕輪域を守る,この日勝頼、秋山らに鉄砲玉10万発の調達,発崎など新検地を命ずる〔森本願兵衛家文書〕 8月 恵林寺住持快川,甲州域上淑女君(勝頼夫人カ)の侍女に蘭渓の宇記を授ける〔市松院文書〕 9月18日 これより先,武田親族衆一条氏が領内青柳(増穂町)に新宿を立てる この日勝領が棟別・普請役を除き,青柳新宿に諸役を免許〔中込政八家文書〕 9月28日 穴山信君,遠江高天神域を救うため徳川家康の軍と戦い敗れる〔要法寺文書〕 10月28日 これより先,河内領西島郷(中富町)の江祥庵主が穴山氏一族宗九郎の墓を路傍より庵中に移して供養を続け,この日穴山信君が同庵の棟別諸役を免許〔江禅院文書〕 11月24日 勝頼,中沢四郎左衛門尉の細工の奉公を賞し,向後その田畑の検地,新得役,測酒を免許〔中沢皆太郎家文書〕 11月28日 勝領,中郡筋井口郷の調衆井口庄左衛門尉らの検出した同郷住人今福和泉守同心井口織部ほか9士の棟別役を免じ,5貫705文を納めさせる〔小河原村島田左衛門所蔵文書〕 11月 この月末から12月上旬の間に穴山信君が出家して梅雪斎不白と名乗り,花押も一変する〔久遠寺文書〕 12月 3日 穴山梅雪,居城駿河江尻城より傳馬を興津・由比・蒲原・岩本に至らせる〔田口文書〕 12月11日 勝頼,富士浅間社御師高橋勘解由左衛門尉の信州更級郡富部妨の荒地開発を賞し,知行に加える〔高橋家文書〕 12月27日 武田勝頼,一条信就の開いた青柳新宿に,二七の日を限り市を立てることを許可〔中込政八宗文書〕
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最終更新日
2019年03月03日 20時56分51秒
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