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勝頼の夫人 「願文」 敬って申す祈願のこと。 この国の本主として、武田太郎と号せしよりこの方代々護り給う。ここに不慮の逆臣出できたって国家を悩ます。よって勝頼、運を天にまかせ、命を軽んじて敵陣に向う。しかりといえども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。何ぞ木曽義昌神慮を空しうして哀れ父母をすて奇兵を起こす。これ自ら母を害するなり。勝頼累代の重恩をうけし輩(ともがら)逆臣と心を合わせて国をくつがえさんとす。万民の悩乱、仏法の妨げならずや。そもそも勝頼いかでか悪心あらん。我れも、ここにして相共に悲しむ、涙またとめどなし。神慮天明まことあらば、罪悪人のたぐい、かりそめにも加護あらじ。神慮まことあらば運命このときに至るも、願わくば伶(れい)人力を合わせて勝つことを勝頼一指につけしめ給い、仇を四方に退けん。 右の大願成就ならば、勝頼我れとともに社殿磨きたて廻廊建立のこと、敬って申す。 天正十年二月十九日 源勝頼うち
願文は、切々として胸を抉(えぐ)り、夫人は奏上を終えるまでに、幾度か絶句して神床にひれ伏した。 今に通るその願文はやるせ無い心情がひしひしと寵っており、筆を運ぶ折に落とした涙で幾個所か字が惨(にじ)んでいるのを見るにつけても、夫人がいかに甲斐の国を思い武田家の運命を案じたか察するに余りあるものを覚えるのである。 祈願をして城に帰った夫人は、少しは心が落ちついたけれども、諏訪城に行っている勝頼公の安否が気遣われてならず、いっそ夫の元に馳せ参じて、せめて身の周りのお世話をしてあげようかとも考えてみたが、この際それは許されないことだろうと思って、口にも出せず毎日ひたすら法華経を念じて夫の武運を祈るばかりであった。 そのうちに頼みとしていた信濃の城は次々に落ちてしまい、掛け替えない血族の者や日ごろの忠臣といわれている者までも離反していく悲報が続いた。勝頼公は諏訪城にいて戦況が慌しいながらも機を窺(うかが)って塩尻峠に布陣し、武田の運命を賭けようと計画を練っていたが、命の綱とも思って甲斐の国の留守を頼んでおいた叔父の穴山信君(梅雪)が、二月二十五日に古府中の館を出て駿河(静岡)へ逃げてしまったことを二月二十七日になって飛脚が伝えてきたことから、これを聞いた勝頼公ほもう施すすべもなく翌二十八日に諏訪城を発って急ぎ新府城に帰ってきた。思わぬ結果に城内は落ち付かず慌しい雰囲気に包まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月03日 21時27分51秒
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