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2019年03月03日
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清和源氏の家系 武田有義《奥野敬之氏書『清和源氏の全家系』》


 頼朝の厚い信任を受けていたと思われていた梶原一族の全滅される。すでに正治元年(1199)頼朝は死んだ。二代将軍は頼家となる。武田党の棟梁有義の名が最後に現れるのは正治二年正月二十八日である。甲斐に末弟石和信光が鎌倉に馳せ参じて、兄武田兵衛有義、梶原景時が約諾を請け、密かに上洛せんと欲するの由、その告げを聞くによって、子細を尋ねんが為に、かの館発向するのところ、先立って中言あるかの間、かねてもって逃亡し、行方知らず。室屋においては、あえて人なし。ただ一封の書あり。披見するの所、景時が状なり。同意の条もちろんと云々。
 書状は景時が武田党の棟梁武田有義を次代の将軍に擁立するというものであった。有義は行方不明とされているが、『系図纂要』では正治二年(1200)八月二十五日に有義は死んだという。

 

 






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最終更新日  2019年03月03日 21時44分20秒
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