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北杜市の先人 植松正尚 高根町 『文学と歴史』第8号 甲州の和算家 弦間耕一氏著 昭和60年刊 一部加筆 植松正尚は和算だけでなく、和歌なども堪能であったらしく、逸見筋八景を映っている。 逸見八景は、熱那神社の拝殿の中の額に納められている。年代は文化三年(1806)とある。 この正尚と算額を奉印した人物が同一であるとするならば、正尚は相当高齢で明治三年(1870)には、八十歳を越えていたと思われる。甲州地内では、八景を映ずることは流行したらしく、本居宣長の高弟で有名だった萩原元克なども、化政期に黒駒八景を漢詩につくっている。正尚が元克のような学者であったとは思えないが、相当な教養を身につけていたものと考えられる。 高根町の村山西割には、植松姓が六軒しかない。正尚はこの六軒のいずれかの出であるが、はっきりしない。高根町五丁田の五味一先生に、屋敷墓地などもかなりの時間を費やして、調査してもらったが正尚という名前はないという。 ところが五味先生が、村山東割にある伊勢大社の社家由緒書に、目を通されていた折、従五位下植松源正尚があったと、早速電話を戴いた。推定した通り、熱那神社の神官であった。
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最終更新日
2019年03月04日 16時11分28秒
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