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2019年03月05日
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米倉彦次都晴継と甘利左衛門の情愛について(『甲陽軍艦』)

 

 甘利左衛門尉、同心頭米倉丹後守の惣領子彦次郎鉄砲にて腹をうしろへうち抜かれ、胴の中へ血入りて腹はつしてすでに死するに、芦毛馬の糞水にたて

て飲み候へば血を下すと申して与へ候所に、父丹後に劣らぬ武者ゆえ、彦次郎申すは、此手、前からうしろへうち抜かれ、助かるべきにあらず、さありて命惜しきとて、牛馬の糞まで飲みたるとあれば、武道をかせぎて骸の上の恥なりとて飲まず、甘利左衛門来りて申さるるは、さすがに武き米倉彦次郎ともおぼえぬ事を申すものかな、か程の深手にて助かり難けれ共、もし能き事もあれば又信玄公の御用に立つべきものを、心懸け無き侍は何共いへ、能き武士は命を全うし高名をきはめてとありて、馬の糞を立てたるを左衛門尉とりて二口飲み、一段味よきとほめ、左衛門尉手より彦次郎にくれらるる、彦次郎飲み候へば不思議なり、胴の血一桶ほど下り、彦次郎其の深手平癒なり。左衛門尉其の歳二十九歳なれ共父備前守に劣らぬ名誉の人かなと、彦次郎に懇ろを見聞きて諸人ほめ、甘利下の同心被官涙を流して左衛門尉になじみ候、これを信玄公聞召し、一入甘利左衝門尉御秘蔵なさるる侍大将なり。

 

と、記している。米倉父子の武勇、甘利米倉主従の情愛は、武士道の鑑というべきであろう。

 

  彦次郎晴継は、寄親甘利左衛門尉の恩情こもる計らいにより九死に一生を得、以後もすぐれた働きをしたが、永禄十二年(一五六九)四月、駿河興津の薩埵山において北条の大軍と合戦し、遂に討死したので、父重継は晴継の弟、五郎兵衛尉忠継を家督として米倉家を継がせた。

 永禄十年(一五六七)八月、甘利左衛門尉昌忠は、不幸にも急死したので、重継は甘利家陣代として昌忠の弟の郷左衛門尉信康を助け、甘利衆の指揮をと

ったが、天正三年(一五七五)五月、三州長篠の戦いにおいて、信康とともに討死を遂げた。

 

甘利信康の墓は長篠の西、新城市竹広に、米倉重継の墓は塩山市恵林寺米倉家墓地にある。

 

米倉丹後守重継 15191575

 

米倉宗継ともいう。

米倉重純の次男。

武田信虎の足軽隊将。牧野原氏の娘を妻としている。武川衆の頭領。

 米倉氏は奈胡義継の次男米倉信継からはじまる。 米倉信継が甲斐国巨摩郡武川筋米倉郷(八代町)に拠って姓としたという。 はじめ武田信虎20人衆徒歩若党の1人にあげられ、甘利虎泰の同心頭となり、 合戦で13度の槍合せ、うち8回に功名をあげている。剛の者として名高い。 武田晴信旗本5人衆にも加えられ、7人の足軽隊将のうちの1人となる。

甘利虎泰の配下となり戦功をたて、

天文21年(1552年)に信州苅屋原合戦に新兵器として鉄砲玉除け(鉄砲や矢を防ぐ竹の盾)の竹束を工夫したことで有名。 竹束というのは青竹を束ねて楯をつくり、その表面に油を塗ったもので、敵の放つ矢や鉄砲弾を防いだ。 これに車輪をつけたものを車竹束といい、さしずめ装甲車。この新兵器、実は古代中国の三国時代に登場しており、 米倉重継らも中国の兵法書に精通していたことを物語っている。

天正3年(1575年)長篠合戦にて討死した。

 

米倉重継の嫡男米倉彦次郎晴継(米倉彦二郎)は、

永禄5年(1562年)に武蔵松山城攻めで瀕死の重傷を負ったところ、 寄親(直属の上司)の甘利昌忠に馬糞汁を飲まされ、まもなく治ってしまうという。   

永禄12年(1569年)、駿河薩埵山で没したいう(天正3年(1575年)長篠合戦で戦死したともいわれている)

 

米倉重継の次男米倉五郎兵衛忠継(米倉主計助)

天正10年(1582年)武田氏滅亡後、 遠江国桐山(静岡県金谷町/榛原町)に潜居していたところ、徳川家康より扶持を受ける。

6月には徳川家康の甲斐入国に際し、折井次昌とともに武川衆を率いる。

12月には巨摩郡円井郷(韮崎市)に430貫文を給される。

天正18年(1590年)に 武藏国鉢形(埼玉県寄居町)に750石を給されている。

米倉重継には、長男米倉晴継、次男米倉忠継以外に、三男米倉種継、四男米倉豊継、五男米倉利継、六男米倉満継、七男米倉信継らがいる。

米倉種継には長男米倉清継がいる。米倉信継には長男米倉永時、次男米倉定継らがいる。 米倉清継には長男米倉昌純がおり、米倉昌純、米倉昌尹とつづき、米倉昌尹には長男米倉昌明、次男米倉昌仲がいる。 米倉昌明には長男米倉昌忠がいる。

 






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最終更新日  2019年03月05日 13時55分26秒
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