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富士山(『山梨県の地名』「日本歴史地名大系」19)
<>や箇条書きは便宜上挿入した。 山梨・静岡両県にまたがってそびえる日本の最高峰。 剣ヶ峰が最高地点で、標高三七七五・六メートル。 <高さ> 天空にそそり立ち、なだらかな裾野をもつコニーデ型の成層火山で、山頂部に火口をもつ。 <火口> 火口の直径は五〇〇六〇〇メートル、深さ二四〇メートルほどである。古来火口は円院とよばれていた。 <富士八葉> その外周には剣ヶ峰を基点として、三島ヶ岳・成就ヶ岳・伊豆岳・大日岳・久須志岳・白山岳などの高所がめぐり、それらを富士山八葉と称してきた。 <富士山体> 山体は標高二五〇〇メートル以上は同心円状の等高線を描くが、それ以下の山腹には大室山(上九一色村)・宝永山(静岡県御殿場市)など多くの側火山が北北西から南南東方向に集中するため楕円形となっている。 <富士山の所在> 南面は静岡県に属し、北面は山梨県に所属する。「甲斐国志」によれば、江戸時代においては富士山の東側の境界は、八合目大行合より東へ大天井・小天井を経て、天神峠を見下ろして籠坂峠へ下る線であり、西は薬師ヶ岳より無間谷・三ツ俣、それより長山の尾崎に下り三ヶ水・狐ヶ水、裾野に至って裂石までが国境をなし、八合目より頂上までは両国の境はなかったとある。今日においてもなお静岡県小山町と富士吉田市との境界は未確定である。 今日の山梨県側の行政区域では、富士吉田市、南都留郡山中湖村・河口湖町・勝山村・足和田村・鳴沢村と西八代郡上九一色村の範囲に及ぶ。 <「甲斐国志」編纂当時の登山道> 「甲斐国志」編纂当時の登山道は、北に吉田口(現富士吉田市)、東の須走口(現静岡県小山町)、南口にあたる村山口境同県富士宮市丁大宮口(現同上)の各々からの四道であった。 <須走道・大宮道、大行合> 須走道は八合目で吉田道と一緒になるので、そこを大行合という。村山道も途中で大宮道と合流するので、頂上に至っては南北二道のみであった。 <「甲斐国志」編纂当時古い登山道> それ以前の古い登山道には、須山口(現静岡県裾野市と船津口(現河口湖町)があった。須山口は聖護院道興の紀行文「廻国雑記」文明18年(1486)条に「すはま口」として記録されている古道であるが、宝永4年(1707)の大噴火のために廃道となった。 <御殿場登山道> 明治16年(1883)に御殿場登山道が開設されるにあたり、この道は須山口3合目に結び付けられた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月05日 18時06分58秒
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