2313609 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年03月05日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
○登山道<富士山(『山梨県の地名』「日本歴史地名大系」19)>
<「甲斐国志」編纂当時の登山道>
「甲斐国志」編纂当時の登山道は、北に吉田口(現富士吉田市)、東の須走口(現静岡県小山町)、南口にあたる村山口境同県富士宮市丁大宮口(現同上)の各々からの四道であった。

<須走道・大宮道、大行合>
須走道は八合目で吉田道と一緒になるので、そこを大行合という。村山道も途中で大宮道と合流するので、頂上に至っては南北二道のみであった。

<「甲斐国志」編纂当時古い登山道>
それ以前の古い登山道には、須山口(現静岡県裾野市と船津口(現河口湖町)があった。須山口は聖護院道興の紀行文「廻国雑記」文明18年(1486)条に「すはま口」として記録されている古道であるが、宝永4年(1707)の大噴火のために廃道となった。

<御殿場登山道>
明治16年(1883)に御殿場登山道が開設されるにあたり、この道は須山口3合目に結び付けられた。

 <山梨県側の登山道>
1)北面の山梨県側では、御師集落である河口(河口湖町)から船津を通過して山頂へ向かう登山道があったが、山崩れによって、すでに近世期には廃絶していたという。
2)また5合目小御岳から屏風岩を経て白山岳へ直登する「ケイアウ道」と称する道が存在した。
3)そのほか北西麓の精進登山道(現上九一色村)に加え、足和田村大嵐からの登拝路もあったという。
4)吉田登山道六合目を起点として、中腹を一周する御中道という巡拝路があった。もっぱら中道巡りに用いられたが、今日では大沢付近が通行不能である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019年03月05日 18時08分27秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X