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○登山道<富士山(『山梨県の地名』「日本歴史地名大系」19)>
<「甲斐国志」編纂当時の登山道> 「甲斐国志」編纂当時の登山道は、北に吉田口(現富士吉田市)、東の須走口(現静岡県小山町)、南口にあたる村山口境同県富士宮市丁大宮口(現同上)の各々からの四道であった。 <須走道・大宮道、大行合> 須走道は八合目で吉田道と一緒になるので、そこを大行合という。村山道も途中で大宮道と合流するので、頂上に至っては南北二道のみであった。 <「甲斐国志」編纂当時古い登山道> それ以前の古い登山道には、須山口(現静岡県裾野市と船津口(現河口湖町)があった。須山口は聖護院道興の紀行文「廻国雑記」文明18年(1486)条に「すはま口」として記録されている古道であるが、宝永4年(1707)の大噴火のために廃道となった。 <御殿場登山道> 明治16年(1883)に御殿場登山道が開設されるにあたり、この道は須山口3合目に結び付けられた。 <山梨県側の登山道> 1)北面の山梨県側では、御師集落である河口(河口湖町)から船津を通過して山頂へ向かう登山道があったが、山崩れによって、すでに近世期には廃絶していたという。 2)また5合目小御岳から屏風岩を経て白山岳へ直登する「ケイアウ道」と称する道が存在した。 3)そのほか北西麓の精進登山道(現上九一色村)に加え、足和田村大嵐からの登拝路もあったという。 4)吉田登山道六合目を起点として、中腹を一周する御中道という巡拝路があった。もっぱら中道巡りに用いられたが、今日では大沢付近が通行不能である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月05日 18時08分27秒
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