カテゴリ:カテゴリ未分類
甲州金(「甲斐國志」巻之二國法部) 甲金はそのはじめ詳ならず。武田氏治国の例によって、今に至る。 一国限通用免許なり。(ただし都留郡古くから通用せず)在むかしから黄金を獲り、献上したことが国史に載せてある。後世、諸州より出る金銀譜に所載を閲するにおいては諸侯の国造り、自国の金銀通用している品少からず。各所領の山に金鉱ありて制する所なり。 室町季世、最多として見えたり。本州みも金鉱あり。僧日蓮の書に、文永年中本州に至り、本州北原に遊化、田波黒川とあり、田波(丹波)は山梨郡の玉山也。(今言うところの大菩薩峠)都留郡丹波山村の境あり、武州玉川の水源なり。黒川山はその北にあり、その距離は萩原村まで五六里にして、大山なり、金鉱多く昔時金戸の繁かりし由、云伝わる。 今は一瀬・高橋と云所に人戸纔に存せり。このあたり十箇村のノ入会山となり、山税を貢す。(鶏冠山、黄金鏡の事は後に図あり、赤尾村法華寺ノ事佛寺部に委し) 河内領雨畑山は駿州阿部山の北に在り、芳(ホウ)山葛篭(ツヅラ)山(今、黒桂に作る)その続きにて皆金鉱多し。山内に昔時掘りたる坑口縦横に存せりと云。此辺の諸村今押掘役(オシボリヤク)として貢納あり。雨畑村の者、耕業ノ隙に雨畑川に押出す砂金を淘汰して取り貢す。 代岱、金山峰(湯の奥村)、常葉山は東河内にあり、これも連貫せる山なり。武川筋御座石は鳳凰山の裾山なり、金峯、御嶽は藏王構現の座ところにて、愛惜の神有りという。按に於曾、萩原等に金山衆誰何某、薬袋ノ佐野七郎兵衛、黒桂ノ望月氏ノ類、金皃を進退せし趣、みな共に近境の郷士所役と見えて、天文・永禄以来の印書を藏する者あり。以前の事は記録伝わらず。 古甲金数品の内古品も有るらん。年代前後考知り難し金座役人は古金に「国の字」・「吉の字」・「極印また金の字」・「吉の字」を並押たる有り、未考。 山下氏、志村氏は聞くこと無し、野中薪兵衛と云者の文書三章、山梨郡室伏村市右衛門これ藏している。然れども伝わりたる家乗なし。 <松木源十郎> 松木源十郎は中郡筋宮原村に住む。苗字帯刀なり、府中柳町に屋敷一所拝領地を有せり。 松木その先は、松木了存紹哲父子天正壬午(10年)の後府中検断を役し、金座をも兼帯する。野田氏は同流にて本州に古き吏人なり。 <大久保長安> 其頃武田家の申楽(猿楽)に大藏太夫の子、大藏藤十郎者、神祖(徳川家康)に召し出され、金鉱の事を申立て、大に君寵に接して、大久保十兵衛と改名し、後には石見守に遥任する。伊奈備前守二人御分国中の租税を司どる、金山一式は大久保十兵衛これを奉じて、本州武田以来の金座役人並に金山係りの者この時みな友御差止になり、大久保一人に任ぜられるという。 <松木五郎兵衛> 慶長十八年大久保が奸曲発覚し刑を被るに及びて、再び松木五郎兵衛に被命、所藏の文書に見る所すなわち是なり。五郎兵衛は紹哲なり。その子金座役にする。金座を称する五郎兵衛、慶安・承応(1646~54)の頃は御代官をも兼役せり。元禄古甲金の時までは灰吹下金の有り。合せ次第に御吹所を建て、松木極印を数代勤める事ゆえ、甲金の品多し。ただし時々小印を加へ品類を分ちたるも有るという。その後の御吹所もみな松木の極印なり。 御吹所は府中佐渡町に御用地あり。大久保長安のときに佐渡国より金工を召抱え、この所に置き吹金ゆえに「工町」の名で呼ぶと。のち遂に例として御吹所を建てるにこの所を用いられる。松木所蔵の慶長中の文書三通あり。写する古甲州金とて一百余品世に存する所稀なるをもって一二蔵する者も他見を忌むゆえにその名は記せず。皆就て所見なり異品にして通用には非じと見える者、また未視その金も好事者の眞写せる者は、これを併記する。その品目方ノ分明わからないものもあり、必ずしもその品類を尽せしと云には非ず。漏れたるも猶多かるべし。當時の通用する所は甲重、甲定二品同位にして各一登分判、二銖判、一鉄判朱中判、四等なれども二朱以下は本と無数なりし故に今漸く少なし。 加膝遠江守印書一章 室伏村市布衛門藏 當國黄金かげ之事如 先規不可有和違者也 天正十九年六月二拾二日 光泰 判 野中新兵衛殿 淺野左京大夫長継印書二章 同人藏 覚 一金一両者 京目 五拾枚出目 一金四両二分一朱 爲中目 二百枚之出目 合五両二分二朱一厘五□者 爲中目ニ延引請取候也 文禄五正月廿八日 左京 印 野中新兵衛殿え 覚 一金子二両一朱者 爲中目 右者百枚之内にて出目金也 文禄五二月十二日 左京 野中新兵衛え 慶長中ノ印書三通松木源十郎所藏 急度中候したかねはいふきの儀最前は一圓 御法度之由に候へ共松木五郎兵衛一人には 御ふかせ可有之爲共申遣候恐々謹言 七月廿一日 後 庄三郎 光次 花押 成 隼人 萬 花押 前 帯刀 直次 花押 村 茂助 直元 花押 大 石見 長安 花押 本 上野 正純 花押 櫻井安芸殿 小田切大隅殿 大野主水殿 平岡岡右衛門殿 覚 急度中入候條共元之金子恭石にてま ね判多候間のし金に江戸小判のことく可 仕由御意に候金二三両のしのへ(候ハゞ) 右之分に致可被懸御目尤候恐友謹言 正月十一日 後 庄三 光次 花押 成 隼人 萬 花押 大石見 長安 花押 松木五郎兵衛殿 覚 急度申遣候の條去年其の他より納め候江戸 判金皆々諸代官衆へ御返し被成候其方判に 極候由 御(言定)に候間其分御心得尤 候金之くらい能由御意に候間弥々被入念 肝要に候恐々謹言 九月三日 成瀬隼人正 萬花押 松木五郎兵衛 殿 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月05日 18時21分13秒
コメント(0) | コメントを書く |
|