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女女女性ではじめての天皇
孝謙(称徳)天皇 こうけん(しょうとく) 養老二年(718)聖武天皇の第一皇女として誕生。母は光明皇后。諱を阿倍といい、天平宝字(てんぴょうほうじ)二年そんごうたてまつりかのてんびよう (七五八)上台宝字称徳孝謙皇帝(じようだいほうじしようとくこうけんこうてい)の尊号を上(たてまつ)られ、また高野姫尊・高野天皇とも称された。 天平十年(738)女性としてはじめての皇太子となり、天平勝宝元年(七四九)七月聖武天皇の辞りを受けて即位した。在位中の政治は母光明皇太后と寵臣藤原仲麻呂(恵美押勝 えみのおしかつ)の施策によるところが多かったとみられる。 聖武太上天皇の崩後の、遺詔(いしょう)よる皇太子道祖王(ふなどおう)を廃して、仲麻呂と親しい大炊王(おおいおう、淳仁天皇 じゅうじん)を立て、天平宝宇二年八 月、に位を譲った。同四年光明皇太后が崩じ、翌年天皇とともに近江保良宮(おうみのほらのみや)に記御幸したが、そのころから両者の不和が顕在化した。すなわち、保良宮で上皇が看病僧道鏡を寵愛したのが起因であった。 平城宮に還御(かんぎょ)すると、天皇は中宮院に、上皇は法華寺にと別居し、六年六月上皇は軒を百官集めて、国家の大事と賞罰のことを行うと宣言した。淳仁天皇と結んだだ藤原仲麻呂はに窮地におちいり、八年九月兵乱(恵美押勝の乱)を起した。上皇はこれを討滅し、道鏡を大臣禅師に任じ、淳仁天皇を廃して淡路に流し、みずから重祚し、称徳天皇という。以後、天皇は道鏡を信任して重く用い、天平神護元年(765)には太政大禅師、翌二年には法王とした。道鏡は法王宮職をおき、政治を専断したが、やがて宇佐八幡神の託宣と称して皇位につこうとした。しかし和気清麻呂による託宣の否認によってその企ては失敗し、天皇も宝亀元年(770)八月四日一崩御した。時に年五十三。大和添下郡高野陵(たかののみささぎ)に葬られた。天皇は在位中父聖武天皇発願の東大寺大仏の開眼供養会(かいげんくようえ)を行いまた恵美押勝の乱平定を祈願して西大寺を造営し、乱後には三重小塔二万基(百万塔)を造るなど仏教興隆に尽くしたが、他方、仏教は政治と癒着し、道鏡の専制を許すことともなった。 じゅうそ【重祚】1度位を退いた天皇が、ふたたびその位につくこと。 参考資料 北山茂夫『日本古代政治史の研究』 同 『女帝と道鏡』(『中公新書』一九二 上田上昭 『日本の女帝』(『講談者現代新書』三三七) 中川収『奈良朝政冶史の研究』 (林陸朗) 性ではじめての天皇 孝謙(称徳)天皇 こうけん(しょうとく) 養老二年(718)聖武天皇の第一皇女として誕生。母は光明皇后。諱を阿倍といい、天平宝字(てんぴょうほうじ)二年そんごうたてまつりかのてんびよう (七五八)上台宝字称徳孝謙皇帝(じようだいほうじしようとくこうけんこうてい)の尊号を上(たてまつ)られ、また高野姫尊・高野天皇とも称された。 天平十年(738)女性としてはじめての皇太子となり、天平勝宝元年(七四九)七月聖武天皇の辞りを受けて即位した。在位中の政治は母光明皇太后と寵臣藤原仲麻呂(恵美押勝 えみのおしかつ)の施策によるところが多かったとみられる。 聖武太上天皇の崩後の、遺詔(いしょう)よる皇太子道祖王(ふなどおう)を廃して、仲麻呂と親しい大炊王(おおいおう、淳仁天皇 じゅうじん)を立て、天平宝宇二年八 月、に位を譲った。同四年光明皇太后が崩じ、翌年天皇とともに近江保良宮(おうみのほらのみや)に記御幸したが、そのころから両者の不和が顕在化した。すなわち、保良宮で上皇が看病僧道鏡を寵愛したのが起因であった。 平城宮に還御(かんぎょ)すると、天皇は中宮院に、上皇は法華寺にと別居し、六年六月上皇は軒を百官集めて、国家の大事と賞罰のことを行うと宣言した。淳仁天皇と結んだだ藤原仲麻呂はに窮地におちいり、八年九月兵乱(恵美押勝の乱)を起した。上皇はこれを討滅し、道鏡を大臣禅師に任じ、淳仁天皇を廃して淡路に流し、みずから重祚し、称徳天皇という。以後、天皇は道鏡を信任して重く用い、天平神護元年(765)には太政大禅師、翌二年には法王とした。道鏡は法王宮職をおき、政治を専断したが、やがて宇佐八幡神の託宣と称して皇位につこうとした。しかし和気清麻呂による託宣の否認によってその企ては失敗し、天皇も宝亀元年(770)八月四日一崩御した。時に年五十三。大和添下郡高野陵(たかののみささぎ)に葬られた。天皇は在位中父聖武天皇発願の東大寺大仏の開眼供養会(かいげんくようえ)を行いまた恵美押勝の乱平定を祈願して西大寺を造営し、乱後には三重小塔二万基(百万塔)を造るなど仏教興隆に尽くしたが、他方、仏教は政治と癒着し、道鏡の専制を許すことともなった。 じゅうそ【重祚】1度位を退いた天皇が、ふたたびその位につくこと。 参考資料 北山茂夫『日本古代政治史の研究』 同 『女帝と道鏡』(『中公新書』一九二 上田上昭 『日本の女帝』(『講談者現代新書』三三七) 中川収『奈良朝政冶史の研究』 (林陸朗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年03月06日 14時04分07秒
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