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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月07日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

甲府芝居の根源(一部箇条書きなどの編成を加える)

 

元禄2年(1689)

○ 江戸の名優坊主小兵衛が甲府に来る。

 小兵衛は延享(延宝か)天和の頃、道化形を以て其名高く、

其頭糸鬢坊主に髣髴たりしかば、時人之れを坊主と呼ぶ、

されば其頃小兵衛人形とて、

小兵衛の糸鬢を五月の兜人形に作りしなどの名優なりしとぞ、

この時小兵衛の演ぜし狂言不明なるも、

上一条町より「ヤイト踊り」ということをして、町々を歩き、御城番迄参りし由。

 

○ 其頃江戸の堺町には、

浄瑠璃芝居 天満八太夫 丹波和泉 薩摩太夫 虎屋源太夫

 説教芝居江 戸孫四郎 

 歌舞伎芝居 猿若勘三郎 中村善九郎

 

○ 『元禄曽我物語』

 ある時中村が芝居にて坊主小兵衛がやつし芸、

花井才三郎が長口上アクビしながら見物、

十文字さつまが景清門破り。

天満八太夫がかかるや道ならず聞いてやる。

  

 当時の甲府の世相(『耳の曾宇志』)

 

 甲府様治代の御府内の風俗人情を尋ぬるに、

七分は百姓家にて、喰物は米麥栗を遣い、金銭もすくなし、

売買の物も多く交易に致し、

在方より麥豆抔を持ち来って□抔を来って取り替える。

何れも是に準じて、畳を敷いてる家は希なり。

莚の暖簾にて家名もなく、潮を売るは□屋といい、

酒を売るは酒屋と呼びしとかや、

囲炉裏に莚屏風を建て裏には蜀黍殻の垣根にて馬家などを作りて、

土蔵といふものはなし。

 

宝永元年(1704)

○ 日暮(ひぐらし)清太夫

 宝永の初年、府内御崎神社の修理について、

東光寺の日暮清太夫に勧進芝居を演せたること、

同記に見ゆ、東光寺は今西山梨郡里垣村に属す。云々

 

宝永2年(1705)

○ 5月「公儀触法度書」中に、

 寺社境内において歌舞伎操等停止彌可為守候然れ共先例有之候

 儀は委細書付を以て申聞可被候

 

宝暦中 1751~1764

○ 上府中中八幡神社の境内に於いて歌舞伎芝居の興行あり、

狂言役割共に不明なるも、登場の俳優は

   中村吉十郎 市川庄五郎 中村藤十郎 中村京十郎

   中村姫吉  市川九蔵 中島龍右衛門 中村鶴太郎

   他、子供

○ それに次いで善光寺(市外里垣村)境内に於いて此一座の芝居あり、

尚此この一座は引き続いて光澤寺(市内三吉町元寺内村)境内に於いて興行。

○ 此時敬学院(市内桶屋町今なし)境内に於いて大黒屋清次郎芝居あり、

狂言は不明なるも一座の俳優は

   中村四郎五郎 阪東栄蔵 中島蔦右衛門 中島三甫次

   鎌倉金五郎 市川助五郎 市川力蔵 中村国太郎

○ 其後光澤寺(元稲門村、今伊勢町?)境内にては、

   中村小吉 中村京十郎 中村蔵右衛門 中村八十治

   中村鶴十郎 市川武十郎

○ 千松院(元稲門町、今伊勢町)境内にては

   澤村喜十郎 澤村今蔵 市川民五郎 市川和十郎

   中村彦五郎 大谷幸蔵 中村山三郎 中村鶴吉

   右の他、小結5人。子供3人。

◎ (ここまでの資料)

   甲斐国志 恵林寺公儀書留 峡中戯場記録 日本演劇史

   町年寄坂田氏御用留 耳の曾宇志 

   富士川町倉本氏所蔵聞書 同古き日記

 

宝暦9年(1759)

 

○ 触書

   去頃一蓮寺光澤寺にて仕形芝居有之相濟候

以後野郎体のものは當所退散いたし

又立戻り當所にかくまい罷在候(略)

   召捕候節は町役之者可為無念候

                 丹 波

                 近 江

 書註…丹波は甲府勤番支配 八木三郎盈道(かねみち)

    近江は甲府勤番支配 川藤左京廣忠

 

宝暦10年(1760)

○ 梅澤芝居

   宝暦10年2月19日~21日迄三日間、

赤尾村(東山梨郡塩山町)湧泉寺の開帳に梅澤芝居の興行あり。

   梅澤芝居、是は惣村若者より御取持候、

19日より21日まで三日修業小屋右同断、

半之丞屋敷の田一東向き東西6間内前のはり出し手すり一間、

南北横八間内振舞台の所3間5間の積もり、

甲1両2分にて外に惣若者より花代三百文出之、

尤花代ぐるみに申定候事、

賄は寺にて三日の外題

19日「一谷嫩軍記」

20日「祇園祭礼信仰記」

21日「姫小松子日之遊」寺より花甲二朱一樽被遣候事、

19日に被遣候事、並名主百姓上中下開帳世話人都合9人にて2百文遣す事、

尤19日朝座元吉右衛門9人へ廻り候事、

    22日寺にて祝い操有之事、「芦屋道満」を出す事。

(赤尾村保坂無究古日記)

 

安永9年(1772)

 

○ 安永9年は亀座屋の夏芝居休場 、7月19日より尊体寺境

 内(金手町)に於て、山本綱五郎なる者太夫にて、始めて女芝

 居の興行あり、願人は和田平町元締文五郎、演題は「夏祭浪花

 鑑」一座の役者は、

   村上尾上 (団七九郎兵衛)

   山本喜代 (一寸徳兵衛義平治)

   山下小梅 (之婦女房 おちか)

   山下叶吉 (おなか おたつ)

   市川小文 (手代伝八釣船之婦)

 

安永9年(1772)

 

○ 9月16日より10月10日迄、始めて亀座屋にて操芝居あり、

座元は豊竹文太夫(竹本か)

  人形遣は初代、西川伊三郎

  大阪の傀儡師、曾て禁裏に召され技を演ず、賞詞あり、

望むところを問はる。

乃ち請うて裏菊に一文字の紋章を賜り後改めて菊菱とす。

世々之を紋章とすと、当代屈指の名手なり)

  初代、吉田文吾(二代文三郎)劇題は「碁盤太平記」・「平仮名盛衰記」

 

天明元年(1781)

○ 夏は竹田芝居、秋9月に珍しく大芝居あり、

役者は市川団蔵にて「仮名手本忠臣蔵」に団蔵売り出しの七役を勤む、

忠臣蔵に七役を勤めしは此俳優をもって嚆矢とす。

  四世市川団蔵は大阪の俳優、屋号三河屋、俳名市紅、

三世団蔵の養子にて初名友蔵、後に団三郎。

安永2年(1773)襲名、

此七役中、與一兵衛と定九郎、由良之助と本蔵の早変わりは、

尤も敏速に、尤も巧妙なりしという。

 

天明2年(1782)

○ 七月、団蔵又来る。

一座に安永2年入峡したる杜若の半四郎あり、

「月小夜」と「化粧坂の少将」を勤む、

此時団蔵38才、杜若36才、

いずれも盛時の頃とて頗る評判宜しかりしとぞ。

 

天明5年(1785)

○ 4月9日、触書

三郎の役者芸者呼寄候義差止候

 

天明5年(1785)

○ 8月29日、吉田文吾の操芝居あり、

浄瑠璃は竹本政太夫(三世、名は利兵衛、義太夫五世)

竹本越太夫

演題は、「内百番富士太鼓」

「仮名手本忠臣蔵」

「千本桜狐の段」

「阿波鳴戸」

 

天明6年(1786)

○ 春芝居、

三世、瀬川菊之丞(屋号、浜村屋 俳名、路考)

瀬川音女(菊之丞の兄 後狂言役者瀬川如阜)

二世阪東三津五郎(屋号、大和屋 俳名是業( )

  狂言は「佳桃山舞台」(ひとのはなもとやぶたい)にて、

  菊之丞の七変化所作あり、3月7日初日、4月12日千秋楽

 

天明8年(1788)

○ 大芝居あり、2月29日開場、役者は、

四代目 松本幸四郎

  幸四郎は宝暦7年四世市川団十郎の門下に投じて、

市川武十郎といい、後染五郎、

  又高麗蔵と改め、36才の時、松本幸四郎の名を襲ぐ、

後の男女川京十郎なり、云々

三代目 市川八百蔵

六代目 坂田半五郎

外題は、「今川本領貢入船」3月29日迄興行せり。

 

寛政1年(1789)

○ 閏6月6日、元祖浅尾為十郎来る。

  為十郎は京阪の名優にて、

天明8年11月始めて江戸の舞台を踏み、

五世団十郎と一座して「源氏再興黄金橘」(略)

衛士又平 軽業師小竹大五郎を勤む。

一座に、三世 澤村宗十郎

四世 岩井半四郎杜若

狂言は、「恋使仮名書曽我」

 

寛政2年(1790)

○ 6月、開場、一座

  三代目 大谷廣次

  二代目 小佐川常世

  演題は 「千代娘音頭瀬渡」

 

寛政3年(1792)

○ 4月、亀座屋興行

  6日、演題、「景清牢破」「曽我対面」

  21日、瀬川富三郎加わる。

  五代目 市川団十郎 (悪兵衛景清 工藤佑経)

  阪東三津五郎 (曽我十郎 畠山重忠)

  森田勘弥 (曽我五郎)

  瀬川富三郎 (化粧坂の少将)

  28日、「黒手組の助六」

  団十郎 助六

  富三郎 揚巻

  これが評判にて五月晦日迄打ち続けたり。

  5月13日~21日迄「鳴神」を加える。

  市川団十郎、俳名三升、後に白猿、屋号成田屋、

寛保元年(1741)の生まれにて、四世団十郎の実子なり、

景清、祐経及び将門は終生得意の芸にて、

団十郎を襲名せる明和6年(1769)

前後よりは實事を主として演じ、

  市川宗家に於いて忠臣蔵の由良之助に扮したるは、

此俳優を始めとす、

この俳優文筆に対して多大の趣味と才能を有し、

二世団十郎の遺風を繰ぐに務めたり。

 

(続編アリ)

  






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最終更新日  2021年04月27日 13時59分20秒
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