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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月07日
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白州町の神社

 

大武川諏訪神社(旧無格社)

 

鎭座地 大武川九八番地

 祭神 建御名方命(たてみなかたのみこと)

 祭日 四月十三日・十月九日

 由緒

  往古建御宅方命、出雲国よりこの地に来り武甕槌命(たけみづちのみこと)と平和の誓いをなされたとの伝えもある。また崇神天皇の御代、武淳川別命諏訪国造に任ぜられ、廟をこの地に建てたともいう。かかる古事に由来してか、成務天皇の御宇神階日本第一大軍神の神位を授けられ、爾来武将の尊信厚く徳川家康より黒印神領一石三斗五升を寄進された。

 甲斐国志に「諏方武井祝ノ旧記ニ諏方明神上ノ社 下ノ社ノ外ニ本祠ヲ加ヘテ三箇所ノ諏方卜称シ中ノ社ト記セリ、中ノ社ノ祭礼ハ年ニ三十二度アリ、凡ソ甲斐ノ国内ニ八箇ノ石ヲ置キ八箇ノ木ヲ植工八箇ノ劔ヲ祀リテ国ノ鎭トスル処ハ皆大武川明神ノ末社ナリト云ヘリ」とある。

 社殿 建造物 本殿(履屋)・拝殿・鳥居.石灯籠

 現社地 五七七坪

 境内末社 道祖社・稲理社・山神社・御社宮司社・天神社

 氏子 六〇戸

 神官 進藤柏男

その他 境内に根回り五・一〇メートル、目通り幹周囲四、二〇メートルのトチの巨木があり町の文化財に指定されている。

 

上教来石、八幡神社(旧無格社)

 

鎭座地 上教来石四〇九番地

 祭神 誉田別命(ほむだわけのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)猿田彦命(さるたひこのみこと)

    水速女命(みずはやのみこと)

 祭日 十月九日

 由緒 創建は後花園天皇の文安二年(一四四五)三月と伝えられる。爾来武田・徳川両氏の崇敬厚く家康入国の際参拝せられ、慶長八年(1603)三月朔日黒印神領一石二斗九升六合の寄進あり、里民もまた信仰厚く社殿の修復造営に勤めた。明治六年村社杜となる。

 社殿建造物 本殿・拝殿・鳥居・石灯籠

 現社地 一三二〇坪

 境内末 稲荷社・神明社・天神社・山神社・道祖神社

 氏子 四二戸

 神官 進藤柏男

その他 猿田彦神は天孫降臨の際、天の八街(やちまた)にいて邪眼を以て神々を恐れさせたが、天鈿女命(あめのうずめのみこと)に制せられ天孫の先頭に立ち後、伊勢国五十鈴川上に鎭座したという。容貌魁偉で鼻長十咫(あた)身長七尺余と伝える。日本書紀には、これを俳優または衢(やちまた)の神とした。中世に至り庚中の日にこの神を祭り、また道祖神と結びつけた。

(広辞苑)市杵島姫命は天照大神、スサノオ尊と誓約せられた時お生れになった神で、三女神の一人である。安芸の厳島神社の主神でもある。

 

上教来石、諏訪神社(旧無格社)

鎭座地 上教来石(かみきょうらいし)二二〇番地

 祭神 建御名方命

 祭日 十月九目

 由緒 創立年月は不詳、往昔崇神天皇の御代里人信州諏訪明神を勧請し、氏神社として崇拝、元禄五年(1692)再建の棟札がある。慶長年間、徳川家康より神領一石二斗を寄進され、社運隆盛武人らの参拝祈願もしばしばあり社殿の修復料奉納なども行われた。

 社殿建造物 本殿一拝殿一鳥居

 現社地 六三八坪

 境内末 社山神杜・荷杜・道祖神杜

 氏子 三五戸

 神官 進藤柏男

 〔町の文化財〕回り舞台・鰐口

その他本殿は一間社流れ造り、江戸初期の遺構とされ拝殿には明治初期の建築になる「回り舞台」があり、村芝居が盛行した名残りをとどめ鰐口は桃山時代の作風があり、ともに町の文化財である。

 

下教来石、諏訪神社(旧村社)

鎮座地 下教来石(しもきょうらいし)二二番地

 祭神 建御名方命

 祭日 四月十五日・十月十五日、

 由緒 

 勧請の年月は定かでないが、教来石村に御朱印山と呼ばれた所に天照皇大神を祀り、のち建御名方命を合祀し諏訪明神と号し、下教来石村の産土神として崇敬していた。元和三年(1617)までは仮宮に鎮座、同年社殿を現在地に造営遷座して神主石田備前に奉仕させた。

しかし天保年間(18301843)に至り、社殿の腐朽ははなはだしく、よって同三年信州諏訪の立川和四郎を棟梁として、本殿はケヤキ造り総彫刻、屋根は鱗葺の覆屋、拝殿・石華表など総て改新築を了し面目を一新した。

 慶長年間、徳川家康より、社領一石五斗二升を寄進せられ杜地二二二〇坪となる。

 慶安二年三代将軍家光入国のみぎり、前記社領朱印状を以て書き替えられ明治維新に上知となり、

 明治六年村社、同四十年神饒幣畠料指定社となり、同年三月十三日下教来石字北原無格社神明社を合祀した。

 御神領覚

 合壱石五斗弐升下教来石之内

 右御寄進侯国家之御祈念社中御造営肝要侯重而御朱印申調可進之侯以上

 慶長八年癸印桃井安芸守信忠書判

 三月朔日石原四郎右衛門尉昌明書判

 小田切大隅守茂富書判

 跡部九郎右衛門尉昌忠書判

 大明神主殿

 社殿建造物 本殿・拝殿・石華表一基、木鳥居一基、石灯籠二基

 現社地 五一五坪山林二二町四反一畝二一一歩

 境内末社 道祖神社・稲荷社・山神社・天神社・秋葉社・蚕神社外一四社

 氏子 一二〇戸

 

鳥原、諏諏神社(旧無格社)

鎮座地 鳥原七七五番地

 祭神 建御名方命

 祭日 四月二十日・十一月二十日

 由緒 

 平安桓武天皇の御代将軍坂上田村麿の勧請だと伝える。降って武田・徳川両家にわたり黒印神領一石三斗九升を寄進せられ、社殿造営国家太平を祈願された。里民尊崇も厚く、再度社殿の改築が行なわれたが腐朽のため、昭和三十五年六月改築し神威を発揚した。

 明治四年上知、同六年村社に列した。

 社殿建造物 本殿・拝殿・鳥居・石灯籠

 現在地 八七九坪

 境内末社 道祖神社.津島社,柏木社・天神社・武田社

 氏子 一〇〇戸

 

鳥原、石尊(せきそん)神社(旧無格社)

鎮座地 鳥原三一〇七番地

 祭神 大山祇命・日本武尊

 祭日 九月二十八日・四月二十八日

 由緒

社記に応永五寅年(1398)の創建で、文禄三年(1594)再建するとある。

甲斐守武田信虎崇敬厚く、家臣馬場美濃守信房も営繕料若干を寄進された。

寛文十二年(1672)徳川家より田一反一七歩を寄進され社運隆栄におもむく。

社殿建造物 本殿・拝殿・石鳥居・注連柱・狛犬・石灯籠  

現社地 四一二三坪

境内末社 天神社・山神社・道祖神社・秋葉社・外六社

 氏子 一六〇戸

その他

 文政十二年(1829)七月、その筋の上司より甲州相撲目代名執弥惣の書付を賜り、

甲州一の名辻と称えられ、九月二十八日の例祭には、

地方力士相撲大会の催しがあって「石尊社の相撲」といって、

近郷からも参拝者も詰めかけ、にぎわいを呈していた。

 

鳥原、往太神社(旧無格社)

鎮座地 鳥原三九〇一番地

 祭神 櫛磐間戸命(くしはまどのみこと)

 祭日 四月一日

 由緒 創立年月は不詳だが、

棟札に享保十六年(1731)七月十九日社殿改築とあるのを見ればそれ以前であることがわかる。

古くは鳥原村や上下教来石村の総社で、

代々の国守の崇敬深く社殿の造営にも心を寄せられたが、

しばしば火災に見舞われ旧態を存せず。

現在の社殿は、領主清水家や大小氏子が協力して、

享保年間に改築し、ほぼ旧観に復した。

 社殿建造物 本殿・拝殿

 現社地 六三〇坪 境内末社なし。氏子 一七〇戸

その他

櫛磐間戸神は門戸の守護神で、天孫降臨の時天照大神の勅を蒙り、

豊石窓神と共に豊葦原の中つ国に降られた。

 

鳥原、松原諏訪神社(旧無格社〉

 

 鎮座地 鳥原二一三八番地

 祭神 建御名方命

 祭日 四月二十一日、十一月二十一日

 由緒

創立年月は不詳、寛政七年(1795)十一月十八日再建の棟札が現存するので、 

当集落発生と共に信州諏訪明神を勧請祭祀したものと考えられる。

当地は往古白須松原に連なり白砂青松の地にして信州諏訪郡に通ずる沿道でもあったから、

次第に開発され集落を形成したので、里民もまた諏訪明神を鎮祭し産土神として崇敬され、

武田・徳川両氏の時代にも、武将の祈願や奉賓の参拝などもしばしばあり、

社殿の修築整備などに勤め、社号も地名を取り入れ呼称し、今日におよんでいる。

 社殿建造物 本殿。拝殿.鳥居.注連石

 現社地 五四〇坪

 境内末社 山神社.道祖神社.琴平社.錦山社.蚕玉社

 氏子 七〇戸

その他

 白須松原は南北朝時代、征東将軍宗良親王遠州井伊谷より信濃の保科氏をたよって、山伏姿に変装しこの松原にしばし休まれた。そのときの御歌に「かりそめの行かひぢとはききしかど、いざやしらすのまつ人もなし」、古来大松原であったことを彷彿される。

 






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最終更新日  2021年04月27日 13時57分32秒
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