2314111 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年04月07日
XML

前沢、正八幡神社

(旧村社)

鎮座地 白須字前沢六六六八番地

 祭神 応神天皇

 祭日 九月二十四日

 由緒(樹齢約1000年のけやき?)

創立は古く長元三年(1030)で、

その年後一条天皇が鎮守府将軍甲斐守源頼信を使わし奉幣した。

また堀河天皇の御代、新羅三郎義光が後三年の役を終え当社に武運長久を祈願し、

そのみぎりケヤキを記念植樹されたのが、

現在樹高約三〇メートル、目通り四・四〇メートルにも達し、

町の天然記念物に指定されているが、植樹説には鎌倉時代甲斐源氏小笠原氏寄進だともいわれる。

なお建久三年源信光(武田)が宝物を寄進するなど武人の尊信も厚かった。

享和元年(1801)火災に遭い社殿が焼失、

四年後の文化元年五月再建され明治六年(1873)村社に列した。(峡北神杜誌)

社殿建造物 本殿・拝殿・鳥居・石灯籠

 現社地 三〇六坪・山林五畝三歩

 境内末社 天神社・武田社・泡瘡社・秋葉社・神明社・稲荷社・水神社・金山社・錦山社・火神・外三社

 氏子 一〇五戸

その他

正八幡宮の意、もと九州大隅の国の八幡宮(鹿児島神宮)のみに限られての呼称であったが、

のち広くその他の八幡宮もこのように呼ぶようになった。

 

白須、若官八幡神社 神社庁登録 三級社(旧郷社)

鎮座地 白須一、五九八番地

 祭神 仁徳天皇・神功皇后・応神天皇

 旧社領 高三石三斗六升(黒印地)

 社地一千坪

 除地神主屋敷四畝二〇歩

 祭日 九月二十三日

 由緒

「峡北神社誌」には、後醍醐天皇の御子守邦親王の時勧請創建とある。

しかし「甲斐社記」には、冒頭「勧請の儀は年暦わかり申さず候」としている。

伝えでは甲斐源氏新羅三郎義光任国のみぎり神主石田道麿へ命じ

宮原の北へ白須八幡宮を鎮座してから武田家代々の祈願所として尊信浅からず、

永禄年中白須刑部少輔義政、馬場信房と心を合わせ、

現在地に遷座、宮社造営し徳川氏治世にも崇敬されたとある。

明治四年上知、同六年郷社に昇格、

社運隆栄であったが明治四十年(1907)九月十六日祭典の提灯の失火により、

本殿、拝殿を全焼。明治四十三年五月ようやく改築する。

大正三年(1914)四月二日、神社財産登録申請許可を得て現在に至っている。

 「甲斐国志」

光厳院ノ御代勧請ス、武田家代次尊敬浅カラズ、

永禄中馬場美濃守今ノ地へ遷シ、

白須刑部少輔政義、神主石田菅蔵ト心ヲ合セ修造スト云ヘリ。

御神領覚 合三石三斗六升白須村之内

 右御寄進候 国家之御祈念社中之御造営肝要侯重而御朱印申調可進之候 以上

慶長八年癸卯 桜井安芸守書判

三月朔目   石原四郎右衛門尉昌

小田切大隅守茂富書判

跡部九郎右衛門尉昌忠書判

  若宮神主殿

 

 社殿建造物 仮本殿.拝殿.石灯篭.石鳥居

 現社地 三八四坪 山林一反四畝一六歩

 宝物 青銅神鏡一面、掛軸一軸(宗良親王 白須松原を詠める御歌、阪正臣書)、額面三面。

 境内末社 琴平社・東照宮社・道祖神社・稲荷社・山神社

・八坂社・熊野社・秋葉社・愛宕社・石尊社・春日社など

氏子 一五五戸

その他

境内にモミの巨木がある。根回り六・五〇メートル、目通り幹囲五・八四メートルの規模であったが、

落雷で幹都は中断南枝が伸びているが、幹の内部は空洞、町(北杜市)の天然記念物になっている。

 

 竹宇、駒ケ嶽神社前宮

 鎖座地 白須字大原八八八四番地ノ一

 祭神 大己貴命、少彦名命。

 祭日 四月十二日

 代々神楽奉納

 神楽奉納

当社の創立年月日は不詳であるが崇敬者が多い。

特に前宮に接して神道御獄教駒ケ嶽大教会所があり、

崇敬者は信州(長野県)の人が圧倒的に多い。

駒ケ嶽登山口になり尾白川の渓流に沿い奇岩怪石ありて森厳。

盛夏には参拝者、登山者で大賑わいを呈している。

 

竹宇(ちくう)、天神宮社

 (旧村社)

 鎮座地 白須竹宇二七八六番地

 祭神 菅原道真公

 祭日 九月二十五日

 由緒

諸説があるが、そのうち「造立奉る御神殿、天下泰平御武運悠久たり、

御再興は寛政四子年(1792)霜月九日、大工始めは明年冬霜月八日御棟上、

同六年甲寅春二月二十四日夜御遷座、神主石田美濃守、藤原義実之代云々」

とある。

古くから六月十四日夜から十五日にかけて、京都北野神社の神事にならい抵園祭が執り行われてきた。

 社殿建造物 本殿・拝殿・石鳥居・石灯籠・石狛犬

 現社地 二七二坪 山林六反三畝

 氏子 二〇〇戸

祭日 四月十二目

その他

菅原道真、醍醐天皇の御代道真は左大臣藤原時平とともに政務に預かった。

宇多法皇ひそかに天皇と相謀って、道真を関白に推挙したが道真は固辞した。

これにより時平は深く嫉み譲言を弄した。天皇はこれを信じ、

遂に道真を九州太宰府に左遷する。

しかし配所にあっても誠忠の志をかえず、三年問蟄居、

有名な「海南行」作詩のような生活で、

延喜三年(903)二月二十五日ここで、五十九歳の生涯を閉じた。

その後京都にしばしば異災あり、世人は道真の崇りだという。

天皇も後悔され延長元年(923)道真を元の官位に戻し、

正二位を贈り左遷に関する書類を焼減した。

これが元官幣中社北野神社で、全国に学間の神として分布は広い。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月27日 13時56分21秒
コメント(0) | コメントを書く
[白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X