2313673 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年04月07日
XML
カテゴリ:山梨の歴史資料室

有効か無効かでもめた第一回総選挙

 

<「明治・大正・昭和の郷土歴史」手塚寿夫氏・清水威氏著>

 

 大日本帝国悪法による第一回衆議院議員総選挙は、明治二三年七月一日に行われた.

 当時の選挙法では、満二五歳以上の男子で、直蒙国税一五円以上の納税者に選挙権があたえられた。

山梨県の有権者は三入一一人で、当時の人口が四〇万だったから、一バーセソトにも満たなかった.

直接国税一五円以上というのは、ほとんどが二町歩・ニヘクタール)以上の地主で、部落でも三~四名であった.

 

 投票日の七月一日は、むし暑い日だった。投票所へむかう地主たちは、紋付羽織を着て出かけた、投票用紙に自分の住所と姓名を明記し、実印をおしてから、候補者名を記入することになっていた。秘密投票でなく、誰に投票したかわかるようになっていたため、た

とえば立候補者の小田切謙明が自分自身に投票したことが知られ、立会人のあいだで、その票は有効か無効かがかなり論議されたが、結局有効と認められるようなこともあった.はじめての選挙とあって、こんなことも真剣に論じられたのであった。「山梨日日新開」では「小田切氏の熱心想うべし」と記事にし、一方投票所へ出頭しなかった八巻九万については、「全く棄権せられたり、八巻氏の淡白を察すべし」と報道した。

 

 開票の結果はつぎのとおりであった。

  第一区(甲府・西山梨・中巨席・北巨摩)

  当選 八巻九万    七七三票

 次点 三枝七内    五四一票

小田切謙明   二八七票

     栗原信近    一五票

 

 第二区(山梨・南都留・北都留)

  当選 田辺有栄    二九二票

  次点 初鹿野市右衛門 二八〇票

     渡辺明渠    一八三票

加藤景明     五三票

 

山梨県の選挙区は三つに分けられ定員は三名であった.もっとも激戦だったのは二区で、当落はわずか一二票差しかなかった。一票二〇円ないし三〇円が相場といわれ、政策や演説がものをいうのではなく「カバン」が勝敗を決した。庶民のあいだに人気があって、「甲州大権現」という生神様にまつられた小田切謙明も、金持にはとても対抗できなかった。

当選した田辺と古里は、買収容疑で検挙されたがまもなく青天白日の身になり、国政議場で活躍する。

 金できまるといわれる「甲州選挙」は、すでに第一回からはじまった.しかし、当選した三名は、かつての自由民権運動の指導者だったり、あるいは当時最高の知識人で、名望・財産・経歴とも当選者にふさわしい存在だった。

 

名ばかりの地方自治

 

 明治十一年七月、郡区町村編制法が府県会規則・地方税規則(いわゆる「三新法」)とともに公布されたことによって、行政区画としての郡町村の名称が復活し、府知事・県令-郡・区長-町村戸長の行政系統がととのった.これにともなって山梨県では、いままでの

四郡が九郡にされ、十二年には戸長選挙法と山梨県町村会規則が制定された.早い村では同年中に村会が開かれたが、多くの村は翌年公布された区町村合法をもって、それぞれの譲会をもつことになった。

 しかし一七年になると、区町村会法が大改正されて、区町村会の議決事項は狭く限定され、議員の選挙・被選挙資格は地租納入者だけに限定された.また同時に、数力町村を一役場に整理して連合戸長役場とし、その戸長は官選に改められた.

 その後町村制が公布され、山梨県では二十二年七月一日から、甲府に市制が、その他の町村に町村制が施行された.

このころ全国的に町村合併が推し進められたが、山梨県ではすでに明治七年以来藤村県令によって合村が強行されていたので、このときの件数はわずかであった。

 新制による町村長・市町村助役・市参事会員・町村委員は名誉職と定められ、市長は、内務大臣が市会から候補補者三名を推薦させ、天皇に上奏裁可をもとめて選任し、町村長・市町村助役は市町村会で選挙のうえ、府県知事の認可をうけることになっていた。市町村会議員の選挙権・被選挙権は市町村の公民にあたえられ、その資格は、帝国臣民で満二五歳以上の一戸を構える男子で、二年前からその市町村の住民として市町村の負担を分任し、地租または直接国税二円以上の納付書であった。選挙は、市会議員は三級選挙制(市税の納付頻で等級を分ける)、同年八月一日に郡制が、同年一〇月一日に府県制が施行された。府県全議員は名誉職で、任期は四年、二年ごとに半数を改選するものとし、議員の選挙は郡・市会によるもので、県民の直接選挙ではなかった)、被選挙資格は府県内市町村の公民で選挙権をもち、その府県内において一年以来直接国税一〇円以上をおさめる者とした.山梨県の県会議員定数は三〇名で、二四年一〇月選挙が行われ、新制第一回の臨時県会において、正副議長と名誉職参事会員が選出された。

 郡制は内容的に府県制と共通する点が多いが、郡に自治体としての性格が付与されたのは郡制によってである.

郡会は、郡下の町村会において選挙した議員(任期六年、三年ごとに半数改選)と、大地主が互選した者(任期三年)により構成された。府県知事も郡長も官選で、自治権は制限されたものであったので、官治の補完的性格が濃厚だった。(手塚寿)

 

ひどすぎる選挙干渉で削られた警察費

 

 明治二五年二月の第二回衆議院議員総選挙では、民党(野党)の有利が明らかであった。内務大臣品川弥二郎は与党のために、内閣機密費一〇〇万円、その他御用商人から二~三吉万円を調達し、それを各県の役人や警察に配って、民党に不利になるように極端な選挙干渉を行った。

 山梨県でも品川の指示をうけ、野党に対しいろいろな方法で弾圧を加えた。演説会では、臨席した警官が野党の弁士に中止を連発し、それに反発する者はただちに拘束した。

 自由党の党首板垣退助が、民党の応援のため県下各地で演説会を行ったさいにも妨害した。たとえば、宝寿院(一宮町)境内で演説会を予定したところ、多くの聴衆が遠くから参集したのに対し、そこへ、警察官を数十名配置して、強引に屋演説会は違法だとして解散を命じた。

 候補のうち、とくに有力な候補者を支持する者は、「金をもらって買収された者として警察署に引致する」などといって、現職警察官が白昼脅迫する始末だった。この候補に勝たせてはということで、おもだった選挙参謀は留置場へぶちこんでしまった。

 こうした選挙干渉に対しては、新聞も批判的であった。

明治五年二月六日の「山梨日日新聞」は、「政府たる者宜しく戒供せよ」の見出しのもとに、

高知は白昼刃を閃かし砲を放つ…殆んど実戦に異ならず…・政府は其地位の安国を計るがために、公力を以って府反対党を威嚇せんとするに至らん、慎まざるべけんや。と書いた。高知では死者一〇名・負傷者六六名を数え、全国でもっともいちじるしい干渉が加えられていた。

 この日、高知出身で有名な板垣が山梨県下で応援演説を行うとあって、この記事をとくにのせたものであり、さらに板垣に望むことにして、「県下の不潔な干渉を混迷から近代化へ鋭を通して現しめてほしい」と訴えたのである.






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月27日 09時03分03秒
コメント(0) | コメントを書く
[山梨の歴史資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

10/27(日) メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X