カテゴリ:山梨県の著名人
山梨県偉人伝 依田孝 県会議長『郷土史にかがやく人々』第3集「青少年のための山梨県民会議編」 依田孝略歴 嘉永四(一八五一)年四月、八代郡市川大門村に生まれた。明治六年八代 郡第一三区副戸長となり、一〇年同区々長、県会議員。一二年県会副議長に えらばれ、また『峡中新報』株主総理となり、かれ自身も寄稿して、藤村県政を初めて正面から批判した。同年から翌一三年にかけ、私塾『進徳社』の創立、全国府県全議員連合会の企画、『峡中岡進会』の国会開設請願の総代として上京するなど、自由民権運動家として多彩な活躍をした。一四年、横浜連合生糸荷預所争議にも、山梨県生糸商荷主総代として〃商権回復〃のために奔走し、帰県後に県会副議長を辞任し、西八代郡長(のちに南巨摩郡長兼任)に就任。明治二三年郡長を辞任し、第一回総選挙に出馬したが次点となり、その後ふたたび県会議員、二六年には県会議長をつとめた。同年一一月から西山梨郡長、三〇年二月から再度南巨摩郡長となったが、三二年一月辞任し、東京へ移住した模様。明治三六年、長男の看病のため帰郷したが、自分も肺炎にかかり、五月二九日五二才で死去した。
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最終更新日
2021年04月26日 18時03分19秒
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