カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲府市横根町・桜井町
甲府市の東端、八人山南東斜面と大蔵経寺山の南西斜面上、およびその問を流れる大山沢川によって開析された南面傾斜上、標高290メートル付近から450メートル付近にわたって展開する積石塚古墳群。昭和58年(1983)分布調査が実施され、全体では142基の積石塚が確認された。その後さらに3基確認され、現在145基を数える。調査結果ではすべて円墳であり、墳丘径6~8メートルを測るものがほとんどである。石室形態 としては竪穴式石室と横穴式石室があり、後者が主体を占める。 古墳群は分布によって四支群に分けられる。横根支群は八人山南東斜面から大山沢川によって形成された小規模な扇状地状の地形上に分布する。総数107基を数え、当古墳群の総数の約四分の三を占める。標高290メートルから460メートル付近までの広範囲に広がりをみせ、290メートル付近から350メートル付近にかけての大山沢川両岸に最も密集している。 そのうち39号墳は昭和五九年に積石塚の成因調査を行うために発掘調査が行われた。墳丘径9,8メートル、高さ2メートルほどの大型の円墳で、内部主体は主軸の長さ6,4メートル、幅1メートルの狭長な無袖形の横穴式石室を採用。 遺物としては土師器のほかガラス小玉・鉄鐵・刀子・馬の歯などが出土している。六世紀中頃の築造と考えられる。 桜井内山支群は大山沢川によって形成された小扇状地から大蔵経寺山南西斜面にかけて広く分布する。標高310メートル付近から430メートル付近までに総数11基が広く散漫に分布している。そのうち9号墳は農道建設に先立って昭和60年に発掘調査が行われた。墳丘窪9,5メートル、高さ1,5メートルの円墳で、主体部は竪穴系の小石室。出土遺物としては土師器・須恵器のほか金環・人骨などが発見されている。七世紀後半代 の築造と考えられ、単次埋葬への移行期後の所産であると考えられる。
桜井西支群は大蔵経寺山南西斜面、標高290メートル付近から410メートル付近に24基確認された。東西にはさほど広がらず、南北に長く広がりをみせる。1号墳からはかつて珠文鏡と勾玉が採集されている。桜井東支群は大蔵経寺山南斜面、標高290メートル付近から320メートル付近にかけて分布する3基からなる。 当古墳群の初現は、発掘調査の成果からは6世紀中葉頃と考えられるが、桜井支群1号墳より採集された珠文鏡および勾玉から5世紀代にさかのぼる可能性も指摘されている。 被葬者については、その起源を朝鮮半島に求める被葬者渡来人説と古墳の構築された周辺には礫が豊富に認められることから環境に求める自然環境自生説とがあり、結論には至っていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月26日 17時54分01秒
コメント(0) | コメントを書く
[山梨の歴史資料室] カテゴリの最新記事
|
|