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2019年04月10日
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北杜市武川町の文化史 墨跡 石原守政ほか『武川村誌』

 書は文字を素材とする造形芸術で、中国及び中国の文字を使用する朝鮮、日本、安南などで発達した。
 文字は言語に代わる符号として発達したので、万人に共通し理解される一定の約束さえ守られて書かれるなら、その結果としての形の美醜は問題としないともいえる。
 しかし同じ文字を書くなら出来るだけ見た目に美しくしようとするのが人間の表現本能である。したがってその形と線などの中に美しさを表現する造形美術である。
 紙、筆、墨の発明によって中国に花開いた書もまた我国民の文生活をいやがうえにも豊かにし、その芸術性の向上と普及に著大な効果をもたらしたのであった。
 長い伝統を有する書であったけれど、それが庶民のものとなったのは、明治・大正時代以降であって、それまでは殿上人や僧侶、神官、武士、学者など一部の知識階級、権力者に限られていたのである。
 明治初年、学制発布と共に義務教育体制が整備され、書は毛筆習字という基礎的段階の中で国民の中に解放され、そして定着していったのである。一方、「かな」は草書をもとにして日本で造られ、女手といわれるように、はじめは女子の間で用いられたが、平安時代には男の能書家も書くようになった。
 やさしく美しいかなは漢字と肩をならべ日本書道の主流となった。江戸時代の古文書に見られる文字はお家流で、尊円流が江戸幕府の公文書に採用されたのである。しかし儒者は明清の書を学んで唐様が流行した。本村の能筆家は次の人たちが特に有名であった。





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最終更新日  2021年04月26日 16時53分02秒
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