カテゴリ:子供資料室
歴史の中の子供たち 食糧メーデー
共同通信社提供
「ボクタチハ ワタシタチハ オナカガペコペコ一デス」 とフラカードは訴えている。 昭和四六年五月十九日の日曜日のこと、皇居前広場に二十数万の労働者・市民たちが集まって、食糧メーデー(飯米獲得人民大会)が聞かれた。会場には、赤子を背負い幼児の手をひいた主婦の姿も目立ったが、とりわけプラ力-ドを手に参加した国民学校児童の集団が人目をひいた。 「僕だらけ疎開したので遅れた勉強をとり戻したいが、米がないので学校に弁当を持ってゆけない。僕たちに給食して下さい。」(『朝日新聞』一九四六年五月二十日) トラックを並へた即席の演壇から、労働組合や政党などの代表者に伍して、ある五年生の児童は必死に群衆に訴えた。 とにかく、敗戦直後の食糧危機は深刻であった。都合では、食糧の配給は遅配・欠配が日常化し、多数の国民はその曰の食糧を確保するのに血まなこになっていた。食べられるものなら何でも口にして飢えをしのいだ。食べ盛りの子どちらにとってはギンシャリを腹いっぱい食べることを夢みて、ひたすら空腹に耐える日々が続いていたのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月26日 16時47分09秒
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