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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月11日
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〔木馬みちの間題〕「民間伝承」昭和22年 関敬吾氏著(一部加筆)

私の話は、古い山村の生活の一面ではなく生々しい現代生活の一こまである。

現在よほど不便なところにでていかなければ、山村らしい山村は見ることが出来ないだろう。というのは、戦時中の無統制な伐採と更に農地と同様の運命をたどるのではないかという不安から植林が久しく行われず、そのうえ、戦災による住宅不足から、町の木材商は山村に乗り込んでいった。あるときは、前金を渡してどしどし買付けが行われていた。そのために、自然の成長よりは伐採寸る方が遥かに上廻わり、山ははげ、洪水の被害さえ増大して行く現状にまで至っている。

農林省あたりでは、施業案な実施してある程度の伐採統制が行われているが、どの程度の強制力を以て実行されるか、吾々にはわからない。

勿論、山林が一定の樹令に達しない以前に伐採せざるを得ない。山林自体の内部的な事情のあることはいうまでもないが、ソリ道というのが山村の生活に大きな社会的機能なもち、これが山林の伐採に拍軍となっていることは見のがしてはならない。私がこれから述べようとする話も、このソリ道のことである。

現在、山林面積に対して林道がどの位の割合に敷設されているか私は知らない。しかし木材な伐採してトラック道路まで搬出するには幾つかの方法はあるが、山林の売買にはこの費用が加算され、山林所有者もその何割かは負担せざるを得ない。従って既設の運搬手段があれば、買手もまたこれを利用することによって、有利に売買を導くことはい弓までもない。

従って、一旦、ソリ道が敷設されるとそれを口実に附近の山は買い漁られ、それほど切実に金を必要としない山主も、木材商やブローカの陪躍によって、幾分有利に取引されるというのでつい売る結果ともなり伐期に達しない若木も伐採されることにもなろう。

われわれが、曾てある山村を調査した際に一つのソリ道を契機として行われる山村生活の一面を見ることが出来た。勿論、特殊例ではあるかも知れないが、私のノートに書き留られた事を紹介する。

《事例》

一、

村の宅をZとしておこう。明治二十三年の春。Z村の隣村のED木材会社がつぎの山林を購入した。

台帳面積(4反)・実測面積(48反)樹種(杉)・見積材績(10石)

台帳面積(4反)・実測面積(48反)樹種(杉)・樹令(20)・見積材績(700

これらの資料は総て森林台帳による。

全石数は正確でなく、樹令は何れも若く、勿論、伐期に達していない。実際には3540年ぐらいの木で、一反歩当り100本から150本が普通といわれ、この位の樹令だと1本1石(3,6㎥)と計算される。従ってこれだけの面積では少なくとも10石をはるかに上廻るものである。この山はトラック道路から離れているので、ソリ道を敷設する必要がある。しかし、これだけの材積では数キロのソリ道をひくには有利ではない。そこで附近の山林を物色して、これに接するつぎのような条件の山林を買い入れた。

台面(3反)実面(3反6畝)樹種(杉)樹令(15年)材積(70石)

台面(2反)実面(2反4畝)樹種(雑木)樹令(5年)材積(?)

この杉材は25年、300石。雑木林中の杉を合わせて、およそ78万といわれていた。雑木林は杉の混合林ではあるが他の三ヶ所の足場が悪かったために購入したともいわれている。

ED社が買った山林は四ヶ所164反、材積は正確ではないが大体2300から2400石、森林組合届出では700石、石当り150円、104千円となっている。当時、石当り4百円であったから、少なくとも、890万円の取引であろう。

ED社はこの木材を搬出するために、約45キロのソリ道(1)を敷設して搬出した。搬出後は、ソリ道はそのまま残して、村の木材ブローカにその管理を委託した。

二、

つぎに、同じ年の春、他村の木材商ODがここにソリ道が敷かれたために、村の木材ブローカー(恐らくAK)の紹介でつぎの山林を購入した。

台面(10反)実面(15反)樹種(杉)樹令(30)材積(824

購入者ODが森林組合に届出た石数は1千石、これも15百~2千石はその材種からしてその材種からしてその推定で能であったたといわれる。ODはソリ道(2)を敷設し、これをEDのソリ道(1)に連結して搬出した。

同じ23年の初め、K町のTMは、前記のブローカAK(ソリ道管理を委託したED木材会社の在村支配人となった)の紹介でつぎの如き条件の山林購入の契約が成立し、それぞれ山林所有者に内金を渡した。

a 台面(4反)実面(48反)樹種(杉)樹令(20年)材積(240石)申告書(120石)

b 台面(4反)実面(48反)樹種(杉)樹令(20年)材積(240石)申告書(250石)

c 台面(4反)実面(48反)樹種(杉)樹令(20年)材積(240石)申告書(200石)

 

ソリ道は前述の如く、ED社の所有ではあるが、AKが管理しているので、TMは当然そのソリ道が使用出来ると思っていた。勿論、AKもその積もりであり、且つ伐採人夫をもAKが世話してくれた。

TMは伐採開始のために、人夫に飲ませる酒をも用意してK町からZ村に出かけた。山に行くと、人夫はわずか23名しか来ていない。徒って、その日、人夫は山開きの酒を飲んだ後に、10本ばかり伐倒しただけでTMは帰った。

しかるに、しばらくしてから、AKがTMを訪れて、Z村のW木材社が山を買ったために伐採人夫もその方に行くことになり、君の方に行く人夫はいなくなった。君の買った山はそつくりW村に売ってはどうだと申入れてきた。

W社は戦時中の統制会村が解体した後、これに関係していたZ村の人々によって組識された新会村である。この会社の株の羊分以上は一人の人によってもたれている。彼は曾て村の幾つかの重要ポストについたことがある、現在に村政の表面には現れていないが、村でも重要な人物てありかつ大山主の一人でもあり、且つこの村の最大の山主の森林経営の顧問でもあり、彼の先代あたりが、他村から入村し二代の間に財をなした人ともいわれ、いうまでもなく、W杜は実質的には、彼によって動かされているといつってもよい。

AKが如何なる窮情によって、自ら紹介してTMにすすめて買わせた山を、旬日にしてこれを放棄するよう勧告するに至った内面的事情は、調査員たるわれわれには容易に推知し得ないが、AKが在村の木材ブローカである限り、村の支配者たるW社の大株主の動向に無関心ではあり得ない。AKはまだ彼ほどの地位は村では占めていないのである。

仮に、村の主導者たるW社の大株主からの直接の指示はなくとも彼の動きに敏感に反応することば創造し得られる。一度、彼の逆麟にふれることは、自身の活動範囲を縮小することを意味する。かかる形態は日本の村落に残る一つの型でもあろう。同時に伐採入夫たちも、仮に賃金は安いにしても、その将来を思うときは、大親分の支配下にあるW社の仕事につくことは当然である。

今一つ、TMが買入れた山林は、戦時中、W社の前身ともいうべき統制会社時代に、売買の契約が成立していた。それが、終戦の結果、統制会社の解体のために、伐採を免かれた山である。統制会社と山林所有者との間に、如何なる契約が結ばれ、かっ金銭の取引が行われたか、また如何なる形に於いて約が除消したか、重要な点ではあるが、この点は明確に聞くことは出来なかった。

形は変っているにしても、TMが購入した山と、統制会社、更にそれを母胎として出来たW社との間には一連の因果関係はあった。

従って一方は先約権を認め、また所有者乃至はブロカーAKは戦争の終結と共に、前の約束は解消したと考え、第三者に売ったとも考えられるが、この点は村人も十分に証明するだけの知識をわれわれに与えてくれなかった。

更にまた、TMの買ったのと時を同じくして、W社もまたその附近に山を買っていた。伐採人夫もまた恐らくこれにとられたものと思われる。しかし、この方はTMが買った山より狭く、それだけでは決して有利な仕事ではない、そのために、TMが買った山にW社の食指が動いていたとも考えられる。更にTMは他所者であること。伐採人夫には山開きの漕はふるまったが、大親分には挨拶に行っていなかった。TMとて経験のある材木商であり、挨拶することは知っていた筈ある。しかし、村のAKが介在しているから、その必要を認めなかったのかも知れない。

こうした幾つかの条件はある。何が直接の原因となって、AKがTMに山林放棄を勧めるに到ったか、何れにしてもTMは山林所有者に対して内金を払っていたにも拘らず、AKの申し出を受諾した。これは仮にこれを拒否して、漸にソリ道を敷いたにしても、搬出には多大の障害のあることを察知した結果かも知れない。

かくして、W村はTMが契約した価格によって山を買い入れ、直接山主に支払い、TMが払った内金は彼に返済して、結局、TMは伐採人夫に山開きの酒をふるまい。不愉快を購い、二度と再びこんな村では山は買わないと述懐することによってこの事件は落着した。

 

四、

W社はTMより買い入れた山の外に、つぎの如き山を買っている。

台面(4反)実面(48反)樹種(杉)樹齢(20年)石数(240石)

台面(4反)実面(48反)樹種(杉)樹齢(20年)石数(240石)

両者を合計すると、五ヶ所面積25反、届出石数12千石。実際はその二倍乃至三倍といわれ、

価格は当時の相場からすると、130万乃至140万円と噂された。

これらの山林は、W社が伐採したのではなく、TMと同じ町のある木材会社が伐倒搬出した。この会社は、W社の大株主の親族によって経営されているものである。

この会社は、ソリ道(1)を、勿論先のブローカAKを通じて使用して、木材は搬出した。

五、

ついでK町のY製材所が、このソリ道を使用する目標の下に、同じ地域の山林を買入れた。これには勿論、ソリ道の管理者AKが介在していることはいうまもない。山林はつぎの如きものである。

a 台面(4反)実面(51反)樹種(杉)樹令(15年)材積(128石)

b 台面(4反)実面(51反)樹種(杉)樹令(15年)材積(128石)

c 台面(4反)実面(51反)樹種(杉)樹令(?)材積(?)

d 台面(13反)実面(16反)樹種(杉)樹令(10年)材積(?)

e 台面(23反)実面(23反)樹種(杉)樹令(15年)材積(569石)

19反、約15百石、Y製材所はa~dを搬出するためにソリ道(3)をつくり、これを前記OD社が敷設したソリ道(4)に連結、eを搬出するために、ソリ道(5)をつくり、共にソリ道(1)に連結して搬出した。これはスムースに搬拙することが出来た。伐採後、adまでの土地はブローカAKが購入した。ついで同じK町のTH社がこれらのソリ道を使用し得る予想の下に、次の山林を購入した。但し、これにはAKは関与していない。

台面(2反)実面(26反)樹種(杉)樹令(7年)材積(101石)

この山林は樹齢25年、約3百石、これは建築材として伐採したものではない。

THはソリ道(2)と(5)とはY製材所、OD社からそれぞれ使用許可を得たが、最も重要な、しかも長距離のソリ道(1)は、ブローカAKの管理にあることを知らず、かつ彼にわたりをつけなかったために、遂に利用することが出来なかった。伐採石数は少なかったがそのために相当の犠牲を払って搬出した。

以上、昭和22年から二ヶ年の間に、一本のソリ道を中心として行われた村と町の人々の動きの概要である。これに関係した山林所有者10人、16ケ所、実測面積707反。勿論伐採された総数は正確につかむことは出来ない。或いはその後もこのソリ道を使用して、附近の山が伐採されているかも知れない。山村の社会的、経済的な諸要因とからみ合って、こうした事柄は他の村でも行われているであろう。






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最終更新日  2021年04月26日 16時36分49秒
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