カテゴリ:子供資料室
歴史の中の子供たち
校庭の一隅で、小学校の男子生徒たちが徒手体操に余念がない。 足を開き、どの子も両手をきちんと真横に伸ばし、鉢巻き姿も凛々しい。 先生は洋服だが、生徒たちは筒袖に袴である。 教科書などを風呂敷に包んだりして登校した大正初期の写真という。 戦前の学校教育において、 教科としての体育は長い間、体操(科)の名で呼ばれていた。 一八七二年の「学制」では、いっとき体術の名で登場したものの、 翌年の「改正小学教則」以来、体操(科)という名称に変わった。 しかし、それが実際に教科として具体化するにはかなりの時間がかかり、 広く教育現場に普及するのは明治も二十年代に入ってからのことであった。 教科のなかみも、富国強兵をめざす国家主義の漆透につれて、 鍛練主義的な面が重視され、普通体操や遊戯のほかに、 隊列運動や兵式体操(のちの教練)が加えられて軍事的色彩を強めていった。 一九回二年、「学校体操教授要目」がはじめて発布され、 わが国の学校体育制度が一段と整備された。 このとき、軍事訓練に当る部分が教練として分離し、 徒手や器械的教材を整理統合した体操が、学校体育の中心となった。 なお、競技や球技、ダンスなどは一括されて遊戯として扱われたに過ぎなかった。 やがて、この体操(科)は、一九四一年の国民学校発足にともなって、 設けられた体練科(体操と武道)の出現で姿を消すのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月26日 16時27分34秒
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