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2019年04月12日
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カテゴリ:子供資料室

◇歴史のなかの子どもたち◇ 農繁期託児所

 

寺院の境内で、手をつなぎ輪になった幼児たちが、

オルガンの伴奏にあわせて、「おゆうぎ」の真最中である。

ほとんどの子どもが着物姿で、男児は坊主頭、女児はおかっぱだ。

なかに白いエプロンをつけた子どもも目につく。

 あいつぐ恐慌に、農村疲弊が深刻化した昭和初期のこと、

ここ神奈川県徽敗郡牡胆村桐山部落(現川崎市和利区の一部)では、

県下唯一の農事特別奨励地の指定を受け、

模範部落たるべく農村振興事業がおし進められた。

その事業の一つとして、

主婦の農業労働力確保のために、農繁期託児所が設けられたのであった。

 はじめは部落の公会堂が用いられ(のち香林寺に移管)、

小学校からお古のオルガンや掛図を貰いうけ、

ブランコやすべり台、砂場なども急造されて、

保母は村の女子青年会の会員たちが交代で勤めたという。

 農繁期における季節保育は、一八九〇年、

 鳥取県美穂村の地主の雄平による農繁期託児所創設を嘔矢とするが、

大正末ころから各地農村で設置が進み、大恐慌後に急増した。

だが、大半は各地の愛国婦人会の手で経営され、

地主に対する貧農の反感をやわらげることを狙った、

慈善救済的なものも少なくなかったという。

いずれにしても、終日野良仕事に追われる親たちには、

幼児の保育を託せる施設は切実な要求であった。















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最終更新日  2021年04月26日 16時17分57秒
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