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2019年04月15日
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訴訟が好きな曲淵庄左衛門

武田信玄には異臣が多かった。

    武田信玄十人の異臣 土橋治重氏著 

「歴史読本」立体構成 武田信玄 昭和44年刊 一部加筆

 

 庄左衛門は重臣板垣信方の草履取りから成りあがった。信州境の曲淵村の水呑み百姓の子で、出世して知行百貫、信玄秘蔵の家人だった。

(この村は存在しない 白州町花水に史跡がある)

註〕

 山梨県には曲淵家の遺跡がある。一つは昭和町押越にある遺跡、一つは白州町花水清泰寺とその前の宅地址。

 信州境の曲淵村(この村は存在しない 白州町花水に史跡がある)

 

天文十二年(一五四三)、佐久尾台城の攻撃には城主の首をとると大言し、その通りに城主尾台又六の首をあげたことから、大剛の者といわれるようになった。各地の戦線でもめざましい手柄をたてつづけた。

 ところが、この庄左衛門、公事訴訟がひどく好きだった。信玄在世中に七十四、五度にもおよんだ。が、勝ったのはたった一回だけという芳しくない成績であった。おそらく、つまらぬことをみな裁判に持ち込んだのであろう。ある裁判のときのことだった。庄左衛門は例の通り負けてしまった。カンカンに怒った庄左衛門は、

 「負ける裁判でないのに負けたのは、贈物をしなかったせいでどいしょう。このつぎは在所からさらし柿をうんともって参りやしょう」

 と雑言を吐いた。

 公事奉行は四人だったが、上席の桜井安芸守が吐に据えかねていい返した。

 「柿よりも正しい理屈をもってきてもらいたい。また、たとえ金銀米穀を車に積んできても、

正しい理屈は曲げるわけには参りませんぞ」

 庄左衛門はその言葉を聞くと、無言でぷいと席を立った。そして、間もなく長い陣刀をひっさげてきた。

「お奉行衆、おん身たちには地位では負けやすが、斬りあいでは負けやせん。

口惜しかったら立ちあいなされ。その頭を斬り砕いてくれるわ」

 そういって、刀をひねりまわした。

 奉行連は青くなった。たいへんな侮辱と恐喝である。そうかといって、腕ではかなうはずもない。庄左衛門は勝ち誇った肩をゆすってゆうゆうと帰って行った。

 収まらないのは桜井安芸守ら四人だった。そろって信玄の前に行き、処断を要求した。だが、信玄は庄左衛門のひとすじな野性的性格を話してから、こういった。

「曲淵めは、まるで猫のようなものじゃ。猫というものは飼い主にもなつかず、白い灰を入れたきれいな炉のなかにも平

気で糞をする。曲淵めは、描と変わらない。しかし、猫が鼠をとるのがうまいと同じに、あいつは合戦がうまい。ああ

いうのも必要だ。どうだ、わしに免じて許してやってくれぬか」。

 信玄にこういわれては、四人の奉行連も許さないわけにはいかなかった。

 庄左衛門はその後も華々しく戦場を駈けめぐり、長篠合戦にも死なず、武田家減亡ののちは徳川家康に仕えた。食禄五百石。文禄三年(一五九四)、七十六歳でこの世を去った。

 〔註〕白州町花水 清泰寺に三代の墓所がる。また恵林寺には信玄法要を主催した際の古文書が展示されている。

  






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最終更新日  2021年04月25日 13時42分26秒
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