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2019年04月16日
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カテゴリ:山縣大弐

山形大弐の歴史 大岡忠光に仕える

 

江戸に戻った大弐は、再び医業をはじめ、寺小屋式の塾も兼ねました、はじめは細々とした生活でしたが、大弐の名は口伝えに広まって、江戸中に知れ渡るようになりました。そんな噂を聞いたのでしょうか、ある日突然大岡忠光という旗本の家来かきて、大弐を召し抱えたいといって主君の言葉を伝えました。

 それというのは、将軍家重の子家治と、閑院宮家の息女倫子姫との婚礼の式を控えていたからです。忠光は将軍の相談役でしたから、婚礼の諸式を担当しなければなりませんでした。それには、京都のことに明るい大弐が必要だったわけで、乞われて忠光の家臣となりました。

 大弐は京都に遊学中、宮中の儀式に明るい藤井右門や竹内式部などと親交がありましたから、婚礼の儀をつつがなく果たすことができました。その功により、主君の忠光は勝浦(千葉県)に領地をいただき、大名に取り立てられました。

 忠光は、自分の功績は大弐の力によるものだといたく感じ、大弐の処遇を考えていましたが、結局新しい領地勝浦の代官に取り立てました、大弐は、海辺の新領地にいけることを喜び、家族を連れて勝浦に移りましたが、半農半漁の勝浦は貧困の土地で、領民の貧しさには目を覆いたくなるほどでした。

 大弐は、早速領内を巡撹し貧困の原因を調べました。その結果、百姓たちに課する税が重過ぎることが分かりました。

このままですと、農民は土地や家を捨てて流民となる心配さえありました。そんなことになると、農民はもとより、領主も困窮することは明らかです。大弐は、決断して減税の策を取り入れました。おかげで農民は安心して仕事に励み、次第に生活が豊かになりました。

 大弐は敬神の念か厚く、度々神社にお参りしましたか、香取神社にも参詣し、

   玉鉾の道ある国にたづね来て うてばこたふる拍手の音

 という歌を残しています。

やがて、主君忠光は側用人に出世し、武蔵の岩槻の城主になり、江戸藩邸を常盤橋に移しました。同時に大弐を呼び寄せ、藩医を命じるとともに、藩政改革の仕事や、藩主の教育係などをさせました。

 

山県大弐の歴史 主君大岡忠光のこと

 

では、大弐の仕えた割剛胆がはどんな人物だったのでしょうか。大弐の偉大さを知るためには主君を語らねばなりません。主君のことを少し述べてみます。

 大岡忠光は宝永六年(一七○九)旗本の大番士、大岡忠利の長男に生まれました。有名な江戸町奉行大岡越前忠相とは同族の間柄にありました。

 十四歳の時、父に連れられて八代将軍徳川吉宗に拝謁しました。これは、当時の慣わしで特別の意味はありません。ですが、二年後には将軍の長男家重の小性に召し抱えられ、兵庫、または主膳などと呼ばれていました。

 家重は、テレビの「吉宗」ですでに知られているように、生まれながらの言語障害者だったのです。そのため、家重のことばを理解できる者は、吉宗を含めてもほとんどおらず、一人忠光だけに、片言ながらも家重のことばが聞こえ、心情を理解し得る存在だったわけです。

 そうした貴重な存在が認められ、忠光は順調な出世をして、しだいに重く用いられて、吉宗引退後は小性組番頭にまで出世しました。忠光は、将軍となった家重とともに本丸入りをし、間もなく側用入御取次役に出世し、禄高も増やされ大名に取りてられました。

 そんなころ、将軍家重の子家治と、京都の閉院宮倫子との婚礼があり、取持役だった忠光がうまくことを運んだため、またその功績が認められ、上総国勝浦に領地をいただき、一万五千石の大名になりました。

更に、二年後には側用人に出世し、従四位下に昇任し、若年寄を命じられました。この時、五千五石を加増されて二万石の大名になり、若年寄のまま武蔵国埼玉郡岩槻城主に封じられました。

 忠光は、柳沢吉保と同じような立場にありましたが、権力を誇示するようなことはしませんでした。政治の表には立たず、政治は老中松平武元らに委せておりました。

ですが、賄賂に対する感覚はあまりなく、くれる物はいただく主義でしたから、官職斡旋問屋などの悪名を残し、これかやがて、つぎの側用人沼田意次に伝えられていくのです。大弐の居心地の悪さか分るような気かします。

 






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最終更新日  2021年04月25日 13時25分45秒
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