カテゴリ:山口素堂資料室
〔素堂余話〕素堂像 芭蕉山桃青寺について(『芭蕉の全貌』萩原蘿月氏著より) 寛文三年黙宗和尚の創立にかゝり、初は白牛山定林寺と云った。臨済宗である。 此寺の檀越に長谷川馬光(二世其日庵)といふ者あり、 芭蕉没後境内に芭蕉堂を建て(寛保三年/1743) 小川破笠作の芭蕉像(破笠晩年の作で 高さ八寸五分)頓阿作の西行像、 素堂の像を安置し、四時仏前に風雅を手向けた。 後文化中、其日庵白芹再び桃青堂を修理した。 延享二年(1745)俊岩和尚の際、舊事に因みて芭蕉山桃青寺と改称し、 其後火災に逢って灰燼に帰したが、宝暦中(1751~63)に泰龍和尚が中興し、東盛寺と改めた。 伴し、明治二十五年再び舊號に復した。 現在の(昭和十年頃)芭蕉堂は明治二十六年十一月芭蕉二百回忌に建てられ、 正面に芭蕉と素堂の二像を安置し、周囲の數多の芭蕉を植えた。云々 素堂像2 『連俳睦百韻』の巻頭図に素堂像がある「葛飾隠士寿像」とあり、 素堂の歿っした翌年に、「摂陽酒堂東都茶瓢同志合感造」とある。詳細は『連俳睦百韻』を参照のこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月25日 11時38分29秒
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