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2019年04月19日
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天草の富岡城 富岡敬明氏 日野春の開拓

 

(植松逸聖氏著「中央線」掲載)

天草の富岡城のことであるが、明治の初年、山梨県に権参事として赴任してきた富岡敬明氏は、もとこの城主であったとかの様に本に書いてあったが、富岡城と富岡氏とは全然無関係であったようである。最初、富岡城を天草の袋の浦(冨岡)に城を築いて城代をおいたのは、天草を兼帯所領した肥前唐津の寺沢広高である。寺沢広高は、その翌年、慶長八年(一六〇三)に、改めて.天草に新封され、初めて富岡城の城主となった。彼、寺沢広高が富岡城の始祖である。その後の冨岡城は、寛永十五年(一六二二)寺沢堅局にかわって、山崎甲斐守家治が城主になり、寛文四年(一六六四)には、三河国田原領主戸田忠昌が城主に任じられた。然し、戸田忠昌は寛文十年(一六七〇)、種々行政面の事から考えて、天草は永久に幕府直轄の地、即ち天領であることが望ましいと、幕府に進言し、自ら城の三の丸を取壊して陣屋にしてしまった。おそらく領民の税負担の軽減を図ったものと考えられる翌年の寛文十一年、戸田忠昌は関東へ移封されて、天領になった天草の最初の代官には小川正辰が任命されている。富岡城の城主は数代しかなかった。従って富岡敬明氏や、その祖先には何の関係もなかったようである。然し富岡氏は、明治九年(一八七六)山梨県権参事から、熊本県権令(後に知事)に栄転している。

富岡敬明氏は、肥前佐賀、小城藩の家老、神代利温の二男として文政五年(一八二二)十一月八日に生れた。

幼名は佐次郎といい、十歳の時鍋島藩の勘定方重役である富岡忽八の孫娘「ツワ」と養子縁組をし、富岡姓になっている。若い時は富岡九郎左衛門敬明といったそうである。山鹿素水という人に師事して、山鹿流の軍学や、剣、槍、馬術などをならい、背丈、高く、筋骨のたくましい、立派な武士であったとのことである。鍋鳥藩にお家騒動が起きた時、富岡氏は、江藤新平らと組んで藩政批判派に廻ったが、事に破れて、彼は土牢に打込まれたが、盟治維新の大赦で放免された。農業開発に造詣の深いところから昭治維新政府に起用されて、明治三年(一八七〇)十一月、北海遭開拓所に派遺されることになっていたが、折角乗った船が品川沖で大しけにあって引き返し、再度渡航を待機しているうちに「山梨県に大小切騒動」がおきて、土肥県合が土民に屈眼したという、情報が維新政府に入ったので、政府は明治五年三月暴動を鎮圧させるために、富岡氏を山梨県権参事として山梨県に派遺した。大小切事件は、彼の手腕によって間もなく平静に帰した。土肥県令は、明治六年一月、大小切騒動の責任を問われてその職を解かれ、大阪府参事の藤村紫朗氏が山梨権令としてかわって着任した。彼の施策の一つである、今の中央線日野春駅付近の、通称「ひのっ原」を開拓して、此処に職を失って生活苦に喘ぐ下級武士の生活安定策として入植させ、麦、桑、馬鈴薯等の栽培をさせた。

 

此の指導監督にあたったのが富岡氏で、その功績によって、此の「ひのっ原」を彼の苗字を取って冨岡と名付けた。然し富岡氏の労苦も、水の無い、風の強い此の地方は、裁培に不適当で離農する者が多く、明治二十年代には武士出の人は、三井亀六という人が只一人であったが、この人も若くして死んでしまい、結局は実らなかったという事ではなかろうか。その後、附近に住む二男、三男が離農者から土地を貰いうけて住みついたという。中央線が開通して、日野春駅がこの地にできてから急速に発展して、現在は、富岡地区に百二、三十戸の家があるが、その中で、一番古いといわれている「堀込家」は、その頃甲村上和田(高根村和田)から此処へ移って来たとの事である。富岡氏は、明治九年十一月熊本県権令として、熊本県へ赴任し翌年の明治十年、西郷隆盛の反乱にあって、谷干城と一緒に熊本城へ籠城している。

 

反乱軍鎮圧の後、熊本城下の復興や、宇土半島三角の築港など数々の功績を残して熊本県知事を退職、その翌年に、西山梨郡里垣村(善光寺町)に帰ってきた。男爵の栄位を賜り、貴族院議員に列せられたが、何故か貴族院議員は拝辞して、里垣村の村会議員になったそうである。男爵さまの村会議員など、おそらく日本全国にその例がなかったではないだろうと思う。里垣村は現在甲府市善光寺町となっているが、同所には四代目の富岡古明(五八)氏が住んでおり、葡萄園を経営しておられる。






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最終更新日  2021年04月25日 08時59分59秒
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