カテゴリ:白州町・武川町 歴史文学史蹟資料室
■諏訪神社社叢(県指定) 所在地大武川98の1 管理者大武川区 指定年月日平成6年11月7日
諏訪神社の地帯は大量の石灰岩地質で、その影響で地質特有の貴重な植物が群生している。先に指定した「トチの木」とは種類を異にするので社叢林として別に指定された。主な植物は、ワニグチソウ、ヤマブキソウ、カタクリなどである
■ 尊神社本殿並びに拝殿(町指定) 所在地鳥原3107 管理者鳥原三耕地財産管理会 指定年月日昭和48年12月1日
本殿は、一問社流造の神社建築で、向拝は軒唐破風つき屋根は檜皮葺きである。正面、側面、背面にみごとな彫刻が施されている。作者は不明だが、諏訪の立川流の大工の手になるものと伝えられている。本殿の建てられた年代については、社伝は文禄3年(1594)再建と記しているが、建物の破損状態、装飾の彫刻の様式などから見て、天保期前後と推定される。本殿を保護するために、現在は覆屋がかけられている。祭神は、大山祇命と日本武尊の2柱である。拝殿は、間口7.9メートル、奥行8.6メートルで、天井のます目に美しい絵が描かれている。絵は遠近の信者が奉献したもので、1枚ごとに画家の名が残されている。
石尊神社参道の松並木(町指定) 所在地鳥原3107 管理者鳥原三耕地財産管理会 指定年月日昭和48年12月1日
樹種はアカマツ。境内の入口から拝殿にいたるまでの約200メートルにわたって、250~300年生の大木約50本が高く伸び立つ。松並木の規模は、根廻り約3メートル、目通り幹廻り約2.8メートル、樹高約30メートル、で県下でもまれに見る景観である。
■前沢正八幡神社のケヤキ(町指定) 所在地白須6668 管理者神社総代 指定年月日昭和48年12月1日 前沢は小字名。神社の西側の斜面に立っている。祭神は応神天皇。根廻り27.3メートル、目通り幹廻り4.5メートル、枝張り東西25メートル、南北25メートル、樹高約30メートル。根元に特徴があり、この地方でまれに見る巨樹である。
■花水カヤの群落と大フジ(町指定) 所在地花水1462 管理者花水区長 指定年月日昭和48年12月1日
カヤはイチイ科の常緑高木で、岩手・山形以南の主として温帯林の中に分布する。ふつうは散生で、このように1ヶ所に大木が群生するのは珍しい。規模は目通り幹廻り1メートル~3メートルのもの16本。フジは豆科つる性の落葉樹で各地で見られるが、かつて2本であったものが成長して現在8本に分かれ、よくこの木の特徴をあらわしていることで、植物形態学上からも大切なものである。規模は最大のもの目通り幹廻り1.85メートル。
■ 巨麻神社のサワラ(町指定) 所在地横手1674 管理者氏子総代 指定年月日昭和48年12月1日.
巨麻神社前庭やや南側に立っている。この境内のサワラはこの地域でまれにみる巨樹で直輸欝をつく姿はまことに見事である。規模は、根廻り4.2メートル、目通りの幹廻り2.9メニト1ジ、高約40メートルとなっている。
■白須若宮八幡神社のモミ(県指定) 所在地白須1598 管理者氏子総代 指定年月日昭和48年12月1目 旧郷社の社殿の前庭の西南に立っている。根廻り6.5メートル、目通りの幹廻り5.一84メート1ル、地上6.6メートルで幹が折れ、そこから南に枝を出し、そのうち細い枝が1本上に立っている。幹の内部は空洞となり、内側に焼けた跡がある。南側の幹の外側は下から上まで欠けている。欠損だらけであるが、樹勢は旺盛で、県下まれにみるモミの巨樹である。
■ 清泰寺庭園(町指定) 所在地花水1461 管理者清泰寺 指定年月日昭和62年4月6日
清泰寺は、寺記によれば大治元年(1126)源清泰が開基となって建てた寺で甲斐百八霊場第73番旧辺見筋の名刹である。記念物(名勝)として白州町から指定された庭園は、本堂後方の山畔を利用した池泉観賞式のもので、約180坪(594平方メートル)と小庭ながら多数の石を組み込み、禅宗の寺にふさわしい落ちついた中に変化のある名園である。様式手法の上からみて、江戸末期の作と推定され、池泉は明確な心字形になっている。甲府市東光寺の庭園は、蘭渓道隆作と伝えられる約1500平方メートルに広がる池泉観賞式の名園であるが、清泰寺の庭園はこれによく似ている。
■ 荒田・松原の大般若会祭り(町指定) 所在地 管理者荒田・松原地区 指定年月日平成2年12月1日
大般若経600巻はインドの仏典を集大成したものとして尊重され、仏教の宗派を超えて取り入れられた。この経を読み、意味を明らかにするとはかり知れない功徳がさずかり、災害災難をうけることがないとされたことから、木板彫刻の印刷技術の発達した江戸時代に入って急速に広まった。荒田・松原の大般若経は、文化5年(1808)に出版されたものを明治初年、鳥原・前沢組その他の人々の寄付金によって購入されたものであるが、現在は荒田・松原のみで保管し、祭りを行っている。毎年4月11日、僧侶が公民館に集まって転読した後、当番の者が経箱をかついで両集落の各戸を廻り歩くものである。往時の信心の厚さが今に伝わる貴重な祭り行事である。
■清泰寺の馬頭観昔(町指定) 所在地花水1405-1 管理者 指定年月日平成8年6月4日
総門を入って右手に立つこの像は、光背の頂まで含めても高さO.79メートルという小型の安山岩製の立像であるが、県内各地で見られるものと異なり、完全丸彫りで、技術的にまれにみる傑作である。三面六胃腎(顔が三つで手が六本)盆怒形で、正面の顔は頭上に馬頭をのせている。馬頭の本願大威力転輸王の部分を欠損している。
■ 獅子舞と道祖神祭り(町指定) 所在地/管理者下教来石保存会 指定年月日昭和48年12月1日 小正月の行事として伝承されてきたものである。御神楽獅子または女獅子とも呼ばれ、一般の獅子舞いと違ってもの静かで優雅である。1月14日の午前4時より、悪魔払い、初産児の無病息災、新婚夫婦の和合、新築家屋の安泰、その他一切の無障害を祈願して、集落内全戸を舞いあるく。舞いは本舞いと剣の舞いの2種類で、獅子役は和服に黒足袋をはき幕のついた獅子頭をつける。尾にあたる部分に同じく和服に黒足袋おかめの面をつけた後舞いがつく。笛、太鼓、お麟し方もすべて和服で統一されている。剣の舞いも服装は同じで、剣の御歌を皆で囃す。 身は三尺の剣をもって悪魔を払うはめでたいな、 どっこいどうだどうするのもこうするのも御了見だ 道祖神祭りは、1月14日夜道祖神に若者が集まり、御神体の石を奪い合いながら集落を練りあるく。こうふんと熱気につつまれるのでそれを押さえるために、伴走のものが終始バケツで水を注ぐ。かつては裸であったが、今は軽い衣服をつける。厳寒の夜一丸となり、かけ声をあげて走り練る様は壮観である。
■ 甲斐駒ケ嶽神社代太神楽(町指定) 所在地横手3804 管理者保存会 指定年月日昭和55年4月1日 大巳貴命他七柱を祭神とする駒ヶ嶽神社の前宮で、4月20日の例大祭に奉納されるものである。家内安全、五穀豊穣を祈願するため300年来続けられて来たが、昭和の初年社殿が改築されたのを機に、さら舞いの内容を深めるため、諏訪神楽(大和神楽)の流れをくむ円野町持久神社の伝授を受け今日にいたっている。神楽の次第は、1~20、朝の神事に始まり夕刻納める。町内竹宇の駒ヶ嶽神社と花水の白山神社でも4月に神楽を奉納するが、内容は横手の駒ヶ嶽神社のものとほとんど同じである。
■ 馬八節(町指定) 所在地/管理者大坊保存会 指定年月日昭和56年8月3日
平安時代末期から戦国時代にかけて、武川筋一帯は、甲斐源氏が支配し、牧の里馬の産出地であった。武田家の臣、黒田八右衛門を父とし大坊村(現大坊)に生を受けた八兵衛(馬八)は、馬を好み成人として馬子となった。彼は聡明なうえに美声の持ち主で、毎日河原部村(現韮崎町)まで荷物を馬で運び、自作の歌をうたった。街道の人々はその美声に聞き惚れ、いつしか道中歌・田植歌として広まっていった。これが馬八節の由来である。馬八節は、7・5・5・7・4調の詩型と独得のテンポ、リズムを持ち、最近まで峡北地方で盛んに歌われた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月25日 06時46分39秒
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