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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月20日
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白州地域民間行事(失っていくもの)

 

お堂

〔十一画観世音菩薩〕(山口)

本尊は十一面観世音菩薩。以前、観世音菩薩を背負って来た坊さんが、この地を通った折にここで倒れて亡くなった。憐れに思った地域の人々は、坊さんを手厚く葬り、傍らにこの観音を祀り、以後定期的に供養の祭りを始めたといわれている。

以前も現在も、お堂は公民館のところにあり、以前は草屋根であった。毎月二五日にお婆さんたちがが、「お念仏を申す」といって、誘い合い唱えに行った。七月七日の墓参りの前にも、お堂に集まり、ここで念仏を唱えてから墓参りに行った。また、盆の三ケ日にも念仏を唱えた。縁日は八日で、山口全戸で祀っていた。供物は各戸で持ち寄った団子(だんご)で、当日は念仏を唱えた。

この行事も数十年前まで行っていたが、現在は行われていない。

 

〔七面さま〕

(白須上)

だいぶ昔、長野県の茅野市から五味さんという七・八十才の人が来て住んでいた。この人は正式の免許は持っていなかったが、たいへん信心深い人であった。毎年十月頃に、白須に「拝む」というふれを出し、三〇戸ほど連れ立って堂に集り、五味氏が拝んで占いをした。しかし、台風で五味氏ともども流されてしまって終わった。

 

(松原)

七面さんと呼ばれ、現在は松原・荒田・鳥原の三集落で祀られているが、以前は荒田の小林七郎氏宅の屋敷神であった。祭日は七月十九日で、現在は社事総代だけが出席し、蓮照寺の佳職に着経をあげてもらう。七面さんは水の神様で、雨の降らないときはいつもお祭りをする。また、以前火事があったときに守ってくれたといわれている。

 

〔〔薬師さん〕(鳥原)

薬師さんと呼ばれ、公会堂に祀られている。祭目は二月二一日で、供物は御神酒・団子である。この日、老姿たちが米三合を持ち寄り、団子を作り、念仏を唱える。この団子は、子供が学校から帰った後彼らに配られる。おやつなどないときは、子供たちにとって欠かせないものであった。

 

〔般若堂〕

 

(松原)

四月二一日を大般若と呼び、松原・荒田のニ集落で祀っている。この日には寺の住職が数名来て、般若堂に保存されている般若経六〇〇巻を転読する。そのあとに青年団が四人ずつ二組に分かれ、経典を入れた箱をかつぎ、松原・荒田問を練り歩く。一年ごとに松原から荒田へ、荒田から松原へと練り歩くのである。また経典の入った箱の下をくぐり、箱の中に米や銭を入れる。米や銭は「オハソネリ」(半紙の中に入れて半紙を捻る)といわれている。その後は公会堂に集まって酒宴を行う。

 

 

〔秋葉講〕

通称「アキヤサン」「アキヤサンのオトウ」「オヒメのオトウ」と呼ばれ、静岡県の秋葉神社に参拝した。講員が積立をし、くじ引きなどで二名から五名ほどの代参者を決めた。六〇年ぐらい前まではほとんどの家カが参加していたが、年を経るごとに代参する考は少たくなっている。しかし、現在在なお行われているところも少なくなく、以前は代参講の形態であったものも、集落内の講としてその形態を残している。

 

(台ヶ原)<昭和51年ころ>

上・中・下組で行っている。

上組では、一五戸で行っているが、代参はしておらず、郵送によって札を手に入れる。代参を行っていた一〇年前の形態は、講日は一月一六日と決まっており、掛軸をかけ、ロウソクをつけ、供物はオコワであった。また当時、故入戸野(神主)氏が講員でもあったので拝んでもらうこともあった。代参日は決まっておらず、札を配る二一月一六日の前に行われた。代参者は希望者とし、三名ほどであった。

中組では、代参は五〇年くらい前にやめたが、講は三〇年くらい前まで行われていた。現在は希望者だけで講を組んでおり、代参者ぱ順番に行き、札を買ってくる。

 

(白須下)<昭和51年ころ>

一・三・六・七・九組で行っている。一組では、二三戸で講をくんでいる。三月一六日に輪番制の家で行う。ここでは、「三峰講」と同時に行うようである。三組では、九戸が一月ニ八目に輸番制の家で行う。「秋葉大権現」と書かれている掛軸をかけ祭る。六組では、一二戸で講を組んでいる。代参は四〇年くらい前にやめた。現在は毎月ニ八日に男性だけが集まり、家は輪番制で(上)カミからシモ(下)に回る。講費として米を一合ぐらいずつ各戸から集める。米以外のものは担当の家で負担する。そして夕方から家に集まり、団子・漬け物・野菜の煮ものなどの料理で飲食し、その場合、豆腐の味噌汁は必ずつける。

七組では、一四戸で講を組んでいる。三月一六日と二一月一六日の夜に婦人が宿に集まる。宿では掛軸をかける。以前はオマル、現在は茶菓子で飲食する。講費は米であったが、現在は組の券金(納税の一部)でまかなう。

九組では、以前毎月ニ八日、現在一一月一六日と三・四月に輪番制の家で行っている。米を持ち寄り、剣を飾り、飲食する。一一月:一六日には「これから寒くなり火も使うようになるのでよろしくお願いします」と願い、三月ニ八日には「よく守ってくれてありがとう。これからもよろしく拾願いします」とそれぞれ意をこめて願っている。

 

(前沢)<昭和51年ころ>

集落内でさまざまな形をしている。たとえば、アキヤサンの火伏せを祀るところがポンプ小屋の横にあり、一月八日にその場所に御神酒を供える。そしてその晩から一カ月くらい間火の用心の拍子木を打ち、火事を防ぐように前沢中を回る。またあるところでは、代参者を決定するとき、家の主人が前沢の秋葉さんに行き、そこでくじをひいて決める。その日は共同飲食し、代参者のオタチブルマイ(出発の儀式)をした。竹字では、集落が上・中・下・セギウェ(堰上)に分かれているが、

 

(竹宇)<昭和51年ころ>

上組と中組の数戸・下組と中組の残戸・セギウエの三組に分け、戦前から現在にと続いて行っている。戦時中一時すたれたが、その時も札だけは郵送によって取り寄せていた。以前は一〇月の道つくろいのとき帰ってくるように代参を行っていた。代参者は二名ずつで区会のときくじ引きで決められた。しかし、そうすると戸数からいって一名が一生に一回しか行けないので、現在は四名ずつになっている。また現在は純粋の代参はなく、旅行も兼ねている。昨年は暮れに行ってきた。最近の代参目は秋から暮れにかけての都合の良い日とする。帰るときはあらかじめ区長に連絡する。区長・組頭は代参者が帰って来ると集落のはずれまで迎えに行く。そして村中のアキヤサソの石塔に御神酒を一升供え、拝んで氏神様の社殿で区長・組頭と供に飲食する。札は代参者がこのときに区長に渡す。区長はそれを組頭に渡し、組頭が各戸へ配る。また代参の費用は区長が各戸から集める。昨年は八百円であった。

下組中心の場合、一月一六日行い、触れは当番が二日前にする。そのときは夕食を食べ、掛軸をかけ、御神酒を供える。以前は米一合ずつ各戸から集めていたが、二年前から米の代わりに講費二〇〇円を集めている。

講員の共有財産は掲軸・碗(メシ・汁)の盃、皿がある。そして講帳には

「昭和廿九年一月秋葉講中名尭会汁簿秋葉講」(表紙)

「昭和廿八年度繰越金九拾四円也廿九年度当番古屋銀胤前年度繰越金九拾四円也内拾円也本台帳購入費残金八拾四円也一金六百九拾四円也酒台収支差引無し昭和廿九年一月廿七日(他略)

 

(松原)

 

「オヒノメのオトウ」と称して一一月ニ八日に行う。輸番制で行うが、全員が講員になっているため費用は区費でまかなう。代参のことを「アキヤさんのオトウ」と呼ぶ。代参者はくじで四名決められる。代参者は帰ると各戸に札を配る。

 

(荒田)

一一月一五日に行う。弘法さんの券堂で行い、準備は輸番制である。この夜は二名ぐらいで、「ゴヨウジン(ご用心)ナシテ(なさって)」と言いながら、拍子木たたいて集落内を歩く。

 

(鳥原)

「アキヤさんのオトウ」と呼ばれ、三月一五日、一月二〇日過ぎの年二回行う藺各戸で米を一合ずつ持ち寄り、オブッコ(団子)を作ってふるまう。一〇年前まで代参を行っていた。代参者の数は四名か五名であり、輸番制であった。以前大トウ・古トウと呼ばれる一組で行われていたが、現在は古トウのみ行われている。 宿は輪番制で、掛軸をかけ、御神酒・線香に団子などを供え、「ナムコンピラダイゴンゲン」と百回唱える。その後、トウヤで用意する料理で飲食して、二時問くらいで終わる。

 

(下教来石)

一月一五日と二月一五日に行う。輪番制で、講に入っている人から米一合ずつ集め、団子を作り、供え、飲食する。上教来石では、以前旅費などを出し合い代参を行っていた。各コウチ(講内)から一名ずつ静岡県の秋葉神社の火祭りに行き、祈祷してもらった。帰りには各戸の札を買い、代参者の家で札を分け、一年の無事を祈った。現在は代参をしていないが、四・五組だけで札を郵送してもらい、輸番制の家で札を分け、飲食している。

 

(山口)

五〇年くらい前まで行っていた。このとき代参者は二名であったらしい。現在は一月一四日に公民館で行う。山口全戸が参加し、会費制である。飲食の準備は輸番制であり、四戸が当番となる。またこのときに社事総代の選出も行う。






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最終更新日  2021年04月25日 06時46分11秒
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