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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月20日
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〔観音講〕通称「オカンノー」「オヒマチ」

 

馬を飼い、また荷馬車をひいていた人達の集まりである。

 

(白須下)

「オカンノソ講」と称し、馬を飼っている人が馬の供養のために行っていた。輸番制の宿で掛軸をかけ、飲食する。当番の宿を「トウヤ」と呼ぶ。現在は馬を飼う家が無くなったため、廃止した方が良いという声が出たが、三組の伊藤三雄氏の主張により、二年前から三組だけで行っている。講日は三月の初午の日と、春は二の午の日とがある。その日は新しくオシソメ(幣束)を切る。

 

(白須上)

春と秋の彼岸に新屋敷中の家が集まって行った組や、五~一〇年くらい前まで、春か秋の彼岸に行っていた組もある。現在は秋の彼岸の最終日に輪番制で行い、お坊さんの読経で供養をする。これらは荷馬車を牽いていた人などの馬を飼っていた人の集まりであった。

 

(前沢)

一部では「オヒマチ」と称し、昭和一八年頃まで一二戸で輪番制に行い、二の午に集まった。当目は五色の旗をたて、オマルを供え、午後二時頃から夕方重で行われた。櫨松茂重氏が来て題目を唱えた.鳥原では、三年くらい前重で行われていて、輪番制であった。コトウ、オオトウ、古トウと呼ばれる三つの組織があった。当日は掛軸をかけ、団子を供えた。下教来石では、老人が観音堂に集まり行っていたが、現在は行われていない。

 

〔山の神講〕

 

山仕事をする人達の問で山の安全を祈るもの。宿は輸番制で行っている。掛軸をかける。

 

(白須下)

四・五組の五戸で行っている。講員は坂本重郎氏・坂本たまこ氏・古屋麻須子武・西中山友栄氏らである。講日は旧一月一六日、旧一〇月ニハ目で、当日は山仕事を休み、輪番制の宿で掛軸をかけ、御神酒・山菜を供え飲食する。

 

(自須上)

組ごとに行っている。五組では「お山の神さんのオトウ」と言う。旧一月一六日と旧一〇月一六日に行う。輸番制で山の神の絵が書いてある掛軸を保管する。この日、担当家は「オトウヘオイデヤレヨ」(当家に来てください)と各戸に集まりを触れながら、五合桝に一杯ずつの米を集めて供物用の団子を作る。そのほかに、飲食の料理を作ったり、線香をあげたりする。また御神酒を集めて、翌日早朝、八幡様にある山の神の石塔に御神酒をあげる。当日は夕食前に講員が担当の家に集まり、掛軸を拝む。そのときに、春ならば「山の神さんま、た今年もお願いします」、秋ならば「山の神さん、今年もありがとうございました」と言う。そのあと飲食するが、座順は決まっていない。戦前は講日の前後の日にも料理を作り、多勢でにぎやかに行われていた。

 

(竹字)

「山の神のオトウ」と呼ばれる。上組と申組の数戸、中組と下組の残戸、セギウエ(堰上)の三組に分かれ、組ごとに行っている。一月一七目に当番の家に集まり米とお金を持ち寄り、山の神の掛軸をかけ、飲食する。講員は山仕事をしている男であるが、都合の悪いときは女でもよい。上組の講員は植松嘉成氏・井上邦夫氏・古屋定雄氏・伊藤泰利氏・高橋忠吉氏・井上町江氏・古屋トキ氏・槌屋公寛氏・伊藤三郎氏・古屋喜久男氏と法全寺の住職(以前)・それに白須に転屠した吉屋モトハル氏である。この日は山の神が矢を射る日とされている。

 

(松原)

五戸が一月一七日(名取マキの屋敷神の祭日と同じなので都合によりかわるときもある)に行っている。掛軸をかけ、団子を供える。輸番制で、掛軸は担当家で管理している。

 

(鳥原)

戦前に行われていた。二一月一七日に男だけが米を持ち寄り、団子を作り、飲食した。宿は輪番制であった。現在は行っていない。

 

(下教来石)

一月一七日と一一月一七日の年二回行う。都合の悪いときは、二一日に行う。これを「オカンムリオトウ」とか「オカソムリオトリ」の日に行うと言う。炭焼き伸問で行っている。以前は九戸の講員数であったが、現在は六戸で行っている。輪番当番制である。昨年一一日は、小林政義氏宅、今年一月は、小林武茂氏宅で行う予定である。講日の夜は夫婦で講に参加し、米一枡か、あるいは酒一升を持って宿に集まる。宿では掛軸をかけ、オコワ・ソバを供え、線香をたいて拝む。山の神はソバが好きと言われている。

掛軸はその日のうちに次の等番の家に渡す。

 

(上教来石)

ワデとシモに分かれて行い、講日は一月一七日と三月一七日である。その日は山仕事をしない。また一月一七日は山の神が山から降りて来て、三月一七日に山へ引きあげると言われている。

 

(大武川)

ワデ・四組・五組の組ごとに行っている。四組では、一月一七日に一年交代の輸番制の当番の家で飲食する。料理は会費でまかなうが、宿の人が準備をする。そして「大山彦命」と書かれた掛軸を宿の床の間に掛け、アオキ(青木)と御神酒をあげ、ロウソクを立てて、山の神に山仕事の無事を祈る。このときの掛軸・トックリ.講帳はチョウ箱に入れて宿の家が保管しているが、講日の翌日に次の宿に渡す。山の神は女の神であると言う。気の荒い神なので祭りごとは気に入られるように盛大に行う方がよいという。

 

〔石尊講〕

 

(松原)

「石尊さんのオトウ」と呼ばれ、各組にあり、組ごとに行われている。以前は毎月二八日に行われていたが、現在は農閑期を利用して年に二度、輪番制で行われる。「石尊神社御祈祷札」と書いてある掛軸をかけ、榊・線香・団子を供え、「オオヤマセキソソダイゴソゲソ、ダイテソグウ、サンゲサンゲ・ロッコンショウジョウ、オシメリ、ハヅライ、コソゴウドウジ、オオヤマダイショウ・セキソンダイゴンゲン、ダイテング・ショウテソクウ」(大山石尊大権現・大天狗・??・六根清浄・?・?・金剛童子・大山?・石尊大権現・大天狗・小天狗)という題目を線香が一本燃え尽きるまで唱えた。

 

(荒田)

一二月・一月・二月・三月の二八日が講日である。「サソゲサソゲ、ロヅコソツヨウジヨウ、オシメリハツダイ、コソゴウドウジ、オオヤマダイシヨウ、フドウミヨウ、セキソンダイゴソゲソ、ダイテングウショウテソグウ」と唱える。その間、線香を一本立て、それが短くなった頃にもう一本立て、一本目が終わるまでこれを唱える。

 

〔一心講〕

弘法大師の祭りである。(前沢)

「弘法さんのオコウ」と呼び、婦人だけ集まる。ブク(葬式)のあった家は参加しない。あん(餡)入り団子を作り、「ナムダイシ、へンジヨウコソゴウ」と題目を唱える。

 

(松原)

「弘法さんのオトウ」と称し、四月二一日に行い、輸番制である。また荒田と交代に祭りをしている。米を各戸三合ずつ集め、それでオダソスを作り、ふるまう。その他御神酒.果物などを供える。

 

(下教来石)

上組(ワデグミ)・金手組(カネンテグミ).下組に分かれて行っていた。大正頃まで毎月二一日の弘法さんの日に行っていた組や、昭和二四年頃まで行っていた組があるが、現在はいずれも行っていない。昭和二四年頃は、「オヒ々チ」と称し、弘法大師の掛軸をかけ、米を供えた。最後に講員が少しずつそれを持ち帰り、自分の家の御飯にまぜて炊いた。世話人が決まっていた。

 

〔稲荷講〕

 

(上教来石)

初午の日に行う。御神酒と、それに各戸から一合ずつ集めた米で握り飯を作って供えた後、そこで御神酒をいただく。握り飯をもらってくることもあれば、米を茶碗に一杯ずつ集め、アズキを入れて炊いたご飯を稲荷に供え、子供に与えるということもある。

 

〔山田講〕

 

(前沢)

前沢集落の山田姓の人が無塔坊を祀り、輪番制で行っている。講日は三月二八日である。祠は山田氏の御用松の下にある。当番は二名であるが、そのうちの一名の家で行う。当日は、アズキ・米・砂糖などを集め、アズキのあんが入った団子と御神酒を祠に供え、線香をたてて飲食する。それから皆で注連縄を作る。この講は同族と関係なしに山田姓となのる人々で行ったもので、転居して来た人でも講員になれるようになっている。

 






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最終更新日  2021年04月25日 06時45分46秒
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