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2019年04月23日
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実相寺の神代桜の謂れ(『武川村誌』一部加筆)

 

 「山梨県名木誌」・「史伝と文学」(昭和六年)

 

 伝へ言ふ、今より一千八百十余年前、景行天皇の皇子日本武専東夷征定の帰途此の地に駐まり紀念に此の桜を手植せらるると、其の後千数百年を経て日蓮上人此の地に巡錫し適々此の木の衰弱せるを見其の樹勢回復を祈られしに不思議にも次第に繁茂し今日に至れりと。抑も此の寺は日蓮宗身延山の末寺にして開山は波木井伊豆守入道日応にして、永禄中蔦木越前守本村大津より今の地に移転せり、而して今の地は山高五郎左衛門(武田太郎信方の裔)の宅跡なりともいう、其の何れの時代に植栽されたものなるやは確知し難きも伝説は上記の通りにして老木にも似ず枝葉はよく繁り全枝に着花すること若木の如く之を高僧の法力などに結びつけるのも左こそと思はしむるものあり。
と記している。

 

老樹なるが故に文学的にも実に多く詠じられた。

 

 「甲州山高邑桜樹(神代桜)碑」がある。この樹碑は建設されなかったので次に記しておく。いつの日かはこれが碑の実現を望むものである。   

 

 武川町山高、実相寺の神代桜 碑文(石碑は建立されていない)

 

甲州山高邑の桜樹の碑文(『武川村誌』一部加筆)未建設

 

峡の山高邑は一条氏の城址なり。精舎有り、実相寺と曰う。昔日蓮上人峡中を遊化し、法を説かるるの処なり。
南面に老桜有り、周囲七尋、蓋し千年以上の物なり。遠条の鳳し、蟠根の ( うづくま )る処なり。
春時に至り花開くや、芬芳四もに聞え、之を望めば雲の如く、一大奇観なり。相伝う、後陽成帝の皇子華頂王、幸燈祠に諦屈すること数年、
常に帰らんと懐い、悒快を嘆いて楽しまず、以て懐土の情を忘る。是を以て文人墨士の遊賞する者、今に至りて相 ( つ )ぐと云う。
夫れ峡は勝区寄迩多し、しかも草木も常と異なる有り。桜は老い易きものなり、しかも千載無く生意尽きず、高大繁茂すること是の如し。
其の盛なる豊に土地の常に非ざるの以ならずや、抑も亦た大士擁護の如に有るものか。
甘棠 ( かんどう )の詠、召南古柏の歌、蜀中に於けると樹の異なるに非ざるなり、其の人を思うなり。独り斯の樹の麗華なる、風韻を曩者に慕い、芥芳を来世に伝えぎるベけんや。
之に係くるに銘を以てす、曰く、峡の土は秀麗にして、其の山は崎枢たり。何ぞ彼穣かなる、斯れ桜の華、千人仭本 ( じんもとぬき ) ( ぬき )んで、万畝陰は敷く、煒々たり煌々たり、
異香衢に満つ、姑射雪を封じ、赤城霞を起す。維れ皇国の産、八紘所無し、現んや復た千載をや、久しく栄えて枯れず、
大士は法を説き、帝子は遊娯す、観者は賛咲し、操觚は踟蹰す、桜は皇国に生じ、所在に能く育つ、芳野と泊瀬と、数百千域、未だ斯の如きを聞かず、
寿、かつ郁々、生意これ隆きは、神の ( たす )くる所、今、逸異を ( つ )く、維れ石之れ勤す、 ( これ )を已往に観るは、伝の如く極まり罔けん。

 

 万延元年庚申の春

 

  機山公十世従四位下前侍従

 

  源 信之撰





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最終更新日  2021年04月25日 05時50分00秒
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