カテゴリ:宗良親王の部屋
宗良親王
引 池上月 ○ さす棹のしつくもしつく波の上に 月をのせたる庭の池水 ○ うきしまか原をとをりて車かへしといひし所より 甲斐国に入りて信濃へと心さし侍しにさなから富士の麓を 行めくり侍しかは山の姿いつかたよりもおなしやうに見えて 誠にたくひなしすそのゝ秋のけしきまめやかに心こと葉もをよひかたくおほえ侍て 北になし南になしてけふいくかふしの麓をめくりきぬらん行きめぐらん ○ 甲斐国しらすといふ所の松原のかけにしはしやすらひて 假初の行かひちとは聞しかと いさやしらすのまつ人もなし ○ 信濃国に行つきぬれはをくりのもの返し侍し次に するかなる人のもとへ申しつかはし侍し ?文中四年(1372) 富士のねの烟を見ても君とへよ 浅間のたけはいかゝもゆると 『李花集』下雑秋類集群従。巻第二百三十一 宗良-応長元年(1311)~元中六年(1389)以前没?。 しほの山、さし出の磯 ○ 磯 月 雅言朝臣 しほの山さしての磯の秋の月 八千代すむへき影そみえける 『白河殿七百首』秋 類集群従。巻第百六十五 ○ 賀 歌 よみ人しらす 【成立-延喜五年(905) しほの山さしでの磯にすむ千鳥 君がみ代をばやちよとぞ鳴く 『古今和歌集』巻第七 ○ 文保百首 忠房親王 小夜千とり空にこそなけ塩の山 さしでの磯に波やこすらん 『新千載集』 ○ 祝 五首 「建仁元年(1201)三月内宮御百首」 しほの山さし出の磯のしきなみに 千とせをいのるとも鵆哉『後鳥羽院御集』 類集群従。巻第四百二十三 ○ 片 戀 後徳大寺左大臣 波さわくさし出のいその岩ねまつかたかたにのみ袖ぬらせとや 『夫木集』「百首御歌合」 ○ 暁千鳥 しほの山かよふ千鳥の聲すなり さしてか磯の明くれの空 『源有房朝臣集』 有房-建長三年(1251)~元応元年(1319) ○ 日本名所千句 宗祇法師 友千鳥さし出の磯や暮れぬらん つるの郡に鳴きわたるこゑ はるばると甲斐の高根は見えかくれ 板野の小菅末なひきなり 露にぬれ霧に分け入る小笠原 くる人うけよ酒折の神 『宗祇法師連歌百韻』 宗祇-生、応永二十八年(1421)~没、文亀二年(1502) ○ 千鳥を讀侍ける 権中納言長方 おきつ汐さしでの磯の浜千鳥 風寒からし夜には友よぶ 『玉葉和歌集』巻六 冬歌 【成立-正和元年(1312)】 京極為家撰。 ○ 権僧正公朝 千鳥なきしほのさしての磯の松や ちよのこゑに千代の色そふ 『夫木集』「弘安元年中務卿親王家百首」 ○ 隆信朝臣 (1278) や千代とそ千鳥なくなるしほの山 さし出の磯にあとをたつねて 『夫木集』「文治六年女御入内御屏風」 ○ 左近中将經家卿 (1190) しほの山さし出のいその明かたに 友よふたつの聲きこゆなり 『夫木集』「建長八年百首歌合」 ○ 月前船 氏部卿為家 (1256) なみのうへや猶すみまさるあま小舟 さし出のいその秋の月かけ 『夫木集』「嘉禄三年百首」 ○ 夜千鳥 頓阿法師 (1227) 夏ぬるき寒き霜夜の月影も さし出の磯にちとりなくなり 『草庵集』【成立-延文四年(1359)頃】 頓阿-生、正応二年(1288)~没、文中元年(1372) ○ 聖護院道興法親王 此国のしほの山さし出の磯とてならひたる名所なけれは 春の色も一しほの山なれは 日かけさしての磯そかすめる ○ さしての磯にて鶯のなくこゑをきゝてよめる はる日かけさしていそくかしほの山 たるひとけてやうくひすのなく 『廻国雑記』 道興-文明八年(1486)六月に京都を出発する。 道興准后。関白房嗣の子。 夢窓国師 甲斐を読む ○ 甲州河浦と云所に山こもりしておはしますける庵の庭の雪むら消て人のふみたるに似たりけるを御覧して 我庵をとふとしもなき春の来て 庭にあとある雪のむら消 『夢窓国師御詠草』秋 類集群従。巻第二百六十五 ○ 甲州ふえふき河の水上に住給ひけるころ伊勢に生まれ、甲斐に移住。 流れては里へも出る山川に 世ゐいとふ身のかけはうつさし 夢窓-建治元年(1275)~感応二年(1351) 甲斐を読む 七彦 ○ 七彦は甲斐カ根の邊に在り禁中の煤掃に此米にて粥を調すと云。 (『甲斐国志』はこの説を比定) 俊頼卿 ○ 君が代をななひこのかゆな返り 祝ふ言葉にあへざらねや 『散木奇歌集』 九 ○ 七夜 俊頼卿 君が代は七日子の粥七かへり いはふ言葉にあえさらめやは 『夫木集』「永久四年(1116)百首」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月24日 07時20分23秒
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