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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月23日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室
甲斐のふるうた(甲斐の古代・中世)

古代から平安にかけて甲斐の名勝を詠んだ歌は、「都留(鶴)の郡」や「塩の山 さし出の磯」であり、古代勅使牧の穂坂牧や小笠原牧・甲斐の黒駒などが多く見られる。文化十三年に完成した『甲斐国志』の古蹟部には多数の古歌が収録されているが中には間違いも見られ、特に御牧関連として載せている歌は他所で詠まれた歌も見かける。塩の山や差しでの磯は現在も笛吹川沿岸にあるが和歌集の注には所在不明とする書もあり、中には海辺を歌ったような感じがするものも多い。
 甲斐の黒駒などは甲斐の地名としてより甲斐の名産馬として聖徳太子の黒駒伝説から始まり知名度が高かったことが理解される。古歌から歴史を紐解こうとすると理解不能となり、参考として捉えるべきであり、それは美豆牧や小笠原牧 小野牧などに代表される。
 数多く残された和歌集から甲斐関係の歌を抽出したが、ここに載せたのせた歌が全てではなく未見の書もあり、今後のさらなる調査をして追刊する予定である。

甲斐のふるうた 日本武尊(やまとたける)
○日本書紀歌謡 『日本書紀』
 常陸を歴て、甲斐国に至りて、酒折宮に居します。時に挙燭して進食す。是の夜、歌を以て侍者に問ひて曰はく
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
諸の侍者、え答へ言さず。時に秉燭者有り。王の歌の末に続けて、歌して曰さく
日日並べて 夜には九夜 日には十日を
即ち秉燭人の聡を美めたまひて、敦く賞す。則ち是の宮に居しまして、靫部を以て大伴連の遠祖武日に賜ふ。

○古事記歌謡 『古事記』
 即とその国より甲斐に越え出でまして、酒折の宮に坐しますけるに、歌ひたまひく
  新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
 ここにその御火焼の老人、御歌を續歌ひしく
  日日並て夜には九夜 日には十日
 ここをもてその老人を誉めて、東の国造りになしたまひき 『古事記』

甲斐のふるうた 甲斐の黒駒
 日本書紀歌謡
   ぬばたまの甲斐の黒駒鞍着せば命死なまし甲斐の黒駒 『日本書紀』

甲斐のふるうた 富士を詠む

◎富士の山を詠む歌 一首并せて短歌 『万葉集』
   なまよみの甲斐の国 うち寄する駿河の国とことごちの
   国のみ中ゆ出で立てる 富士の高嶺は天雲もい行きはばかり
   飛ぶ鳥も飛びも上るず 
燃ゆる火を雪もち消ち 降る雪を火もち消ちつつ 言ひも得ず 
名付けも知らずくすしくも います神かもせの海と名付けあるも 
その山の堤める海ぞ 富士川と人の渡るもその山の水のたぎちぞ 
日本の大和の国の鎮めとも います神かも宝ともなれる山かも
駿河なる富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
○ 反 歌
   富士の嶺に降り置く雪は 六月の十五日に消ぬれば その夜降りけり
◎ 山部宿禰赤人、富士の山を望る歌 一首并せて短歌
   天地の 分れし時ゆ 神さびて高く貴き 駿河なる富士の高嶺を 
天の原 振り放け見れば 渡る日の影も隠らひ 照る月の光りも見えず 
白雲も い行くはばかり 時じくぞ雪は振りける 語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ
   富士の高嶺は
 ○ 反 歌
   田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける

甲斐が根・甲斐のけ衣
○ 東歌
   かひかねに しろきは ゆきか  いなをさの かひの けころもや
   さ らす てつくりや さらす てつくりや
   甲斐が根に 白き雪か いなおをさの 甲斐の褻衣 晒す手作り 
『万葉集』

○ かひ歌
   かひがねはさやかにも見しがけけれなく横ほりふせるさよの中山
『古今和歌集』
    【成立-延喜十三年(913)頃】

○ 布 よみ人しらす
   をち方に白き花こそいなをさのかひのてなこ(てこな)のさらすてつくり 
『夫木和歌集』

○ 衣 前大納言言隆卿 1145~1151
   ふり積る白根の雪はいなをさのかひのけころもほすとみえたり 
『夫木和歌集』「久安百首」

 東歌 かひのけ衣
○ かひのけ衣 太宰大貳重家
   月影にかひのけ衣たゝすかと みれは白峯の雪にそありける
『夫木集』「安元元年閏九月歌合」
 
○ 紀貫之(延元二年/924)御屏風
   かひがねの山里見ればあしたづの 命をもてる人ぞすみける
『六帖和歌集』 (868~945)
 
○  順徳天皇詠 ・ ? 【成立-貞元・天文頃 976~982】
  かひかねは山のすかたもうつもれて 雪のなかはにかゝる白雲
『順徳院御集』類従群集 巻四百二十四 【成立-貞永元年 1232】
 
○  蓮生法師
   甲斐かねははやゆき白し神無月 しくれてすくるさやの中山
『続後撰和歌集』

○ 旅の歌とてよめる  大江義重
   雪つもるかひの白峯をよそに見て はるかに越るさやの中山
『新千載和歌集』

○  前中納言定家卿
   かひかねに木の葉吹しく秋かせも 心の色をえやはつたふる
『新拾遺集』
○  信實朝臣 
   春のくる霞をみれはかひかねの ねわたしにこそ棚引にけれ
『夫木集』「建長八年(1256)百首歌合」

○ 月照山雪(かひのけころも)
  太宰大弍重家卿安元元年(1175)閏九月歌合 
   つきかけにかひのけ衣さらすかと みれはしらねの雪にそありける 
『夫木和歌集』
 
○ 西国なれど、甲斐歌など謂ふ
…(貫之が土佐から京に帰任する乗船の際に)『土佐日記』 紀貫之
 ○ 女はじめ詠ひたる歌をふりあげつつ、甲斐歌に唄ひ行けり 
『平仲物語』

  甲斐、都留(重複する歌あり)

○ 甲斐の国、鶴の郡、菊花山あり。流るる水菊を洗ふ。 
『風土記』
   その水を飲めば、人の壽、鶴のごとし云々。
○ 雲の上に菊にほりうゑて 甲斐国の鶴の郡をうつしてぞ見る 
『夫木集』十四
○ 藤原長清撰 【成立-延慶二年 1309】
  かひの国つるの郡に菊おひたる山あり、その谷よりながるゝ水菊をあらふ。
これによりてその水をのむ人は命ながくしてつるのごとし。
仍て郡の名とせり、彼国風土記にみえたり。…『和歌童蒙称四』
 
○ 延長二年左大臣殿北方御五十賀屏風料…延長二年(924)
 鶴郡但北方巳所選其事
   かひかねの山里みれはあしたつの
命をもたる人そすみける 『紀貫之集』類従群集。第五

○ 関白道長
   甲斐国都留の郡の千年をば 君が為延と思ふなるべし 
道長…生、康保三年(966)~没、万寿四年(1027)
 
○ 慶賀
   すへらきの君につかへて千年へん 鶴の毛衣たもとゆたかに 
『朗詠題詩歌集』 類従群集。巻四百二十一

○ かひへゆく人に  伊勢
   君が世はつるのこほりにあえてきぬ 定めなき世の疑もなく 
『伊勢集』下 伊勢…生、元慶元年(877)~没、天慶元年(938)頃 

○ かひ  柿本人麿 ??
   須磨の浦の鶴のかひこのある時は 是か千世へん物とやはみる 
『柿本集』 人麿…生不詳~和銅元年(708)没『日本書紀』

○ 甲斐国へくたりまかり申侍りけるに 壬生忠岑
   きみがためいのちかひにそわれは行 鶴の郡に千代をうるなり 
『新千載集』【成立-延文四年(1359)】二条為家撰。

○ 題しらす  八条院六條
   よろつよを君にゆつらんためにこそ 鶴の郡のさなへとるらん
 『夫木集』

○  祐擧
   君が代はつるのさとなる松原の はまのまさこもかすしらねかな

○ 題しらす  読み人しらす 
   甲斐国鶴の郡の板野なる しら玉こすけ笠に縫らん 
『夫木集』
 【成立-二条為定撰。延文四年(1359)奉覧】

○ 宗祇法師
   はるばると甲斐の高根はみえかくれ 板野の小菅すゑなひくなり
『夫木集』

○  宗祇法師  
   友千鳥さし出の磯や暮れぬらん つるの郡に鳴きわたるこゑ 
『日本名所千句』宗祇-生、応永二十八年(1421)~没、文亀二年(1502)

○ みさか甲斐(東国風俗歌)能因法師 -生、永延二年(988)~永承六年(1051)頃
   み坂ちに氷かしけるかひがねの さなからさらすてつくりのこと 
『夫木集』 巻第二十一
  
甲斐歌 
 ○ 甲斐歌
   甲斐が嶺を嶺こし山越し吹く風を 人にもがもや言傳やらむ 
『古今和歌集』 ・ 【成立- 905宣下】

○  大江義重
   雪つもる甲斐の白根をよそに見て 遙にこゆるさよの中山 
『新千載和歌集』

○ 甲斐風俗
   甲斐人の嫁にはならじ事辛し甲斐の御坂を夜や越ゆらむ
 『承徳本古謡集』

○ 風俗歌 甲斐
   甲斐が嶺をさやにも見しかや心(けけれ)なく 横ほり立てるさやの中山
 『古代歌謡集』
  
○ 甲斐のけ衣
   甲斐が嶺に白きは雪かやいまをさの 甲斐の褻衣(けごろも )や 晒す手作りや晒す手作
 『古代歌謡集』
   かひがねに、しろきは ゆきかやいなをさの 
かひのけころもやさ らすてつくりやさらすてつくりや
 
○ 布 六帖よみ人しらす
   をち方に白き花こそいなをさの かひのてなこのさらすてつくり
 『夫木集』巻第三十三

○ 衣 前大納言隆季卿  (1145~1151)
   ふり積る白根の雪はいなをさの かひのけころもほすと見たり
 『夫木集』「久安百首」 
 
○ 月照山雪 大宰大弐重家卿  (1175)
   月かけにかひのけ衣さらすかとみれは しらねの雪にそありける
 『夫木集』「安元元年閏九月歌合い」
 重家…生、大治三年(1128)~没、治承四年(1180)

○  慶賀
   すへらきの君につかへて千年へん 鶴の毛衣たもとゆたかに
 『朗詠題詩歌集』 類従群集。巻四百二十一

  甲斐へ赴任する人

 飛鳥井雅有撰 【成立- (1259)~ (1277)】
忠岑-壬生氏。 ~延喜二十年(920) 。
    かひの国へ下るまかり申し侍りけるに 
   君が為命買ひにぞ我は行く 鶴のこほりに千世を売るなり
『新千載和歌集』

○ かひの国にまかりたりしひとにたのみたりし
    女の人に名立と聞侍りしを帰まうてきて
   忘るれは又も渡らぬうき事の 忘れ須能見も主穂ゆるかな 
 忠見-壬生忠岑の子。~没、天徳四年頃(960)?

○ 忠岑かもとに送る  貫之
   かひかねの松にとしふる君故に 我はなけきと成ぬへらなり
 『紀貫之集』十 貫之-生、貞観十年(868)~没、天慶八年(945)
 
○ かひへゆく人に  伊勢
   君が世はつるのこほりにあえてきぬ 定めなき世の疑もなく
 『伊勢集』 下
  藤原伊勢-生、元慶元年(877)~没、天慶元年(938)頃?(生、不明~没、正歴元年・990)
 
○ 延喜六年六月廿一日壬生忠岑日次贅使として (『忠岑集』…920)
 かとのかはのにへ殿にあり、躬恒宣旨かひの使として忠岑かかへらむするに此歌を送る
   とゝむれととゝめかねつも大井川 せきをこえて行水のおと
 
○ 忠岑がもとに  凡河内躬恒 (1309~1332)
   かひかねの松にとしふるきみゆゑに 我はなけきとなりぬへらなり
 『夫木集』

○ 甲斐の国へ下るまかり申し侍りけるに
 かひのかみに侍ける時、京へまかりのぼりける人につかはしけり 
 おのゝさたき(小野貞樹)
   みやこ人いかがとゝはば山かたみ 晴れぬくもゐにわぶとこたえよ
 『古今和歌集』貞樹-仁寿元年(853)甲斐守赴任。甲斐目。国司。

○ 甲斐の国にあひ知りて侍りける人とぶらはんとてまかりけるを、
みちなかにてにはかに病をしていまいまとなりにければ、
よみて「京にもてまかりて、母に見せよ」
といひて人につけて侍りけるうた  在原しげはる 
   かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし 今は限りの門出なりけり
『古今和歌集』巻第十六 哀傷歌
(滋春=在次君)は在原業平の次男 滋春-?~延喜五年(905)没?。業平の三男。
  参考-寛平六年(894)甲斐守赴任。
 
○ (前略)
かくて他国ありきくて甲斐国に到りて住みける程に、
病して死ぬとて、詠みたりける
   かりそめのゆきかひ路とぞ思ひしを 今はかぎりの門出なりけり
  とよみてなむ死にける。この在次君(滋春)の一所に具して知りたりける人、
三河国より上るとてこの厩どもに宿りて、この歌どもを見て、
手は見知りたりければ、見つけいと哀しと思ひけり
『大和物語』…天暦四年(950)頃成立
 
○ 甲斐国よりのほりてをはりなる人の許にありける
  かはなきことによりてなおりそととおひいたしけれは  よみ人しらす   
   鳥の子のまたかひ乍あらませは をはといふ物おい出さらまし
 『金葉和歌集』【成立-天治元年(1124)奉覧】
【琴塚】 和戸村-『甲斐国志』古蹟部第一山梨郡万力筋(現、甲府市)
 里人或は在原滋春の墳なりとて在原塚とも云。石浮圖あり。
高さ五尺八寸臺五重の大きさ。横貳尺四寸五分。厚さ八寸全圖附録に載す。
滋春は業平朝臣の次男在次君と称す。昌泰二年(899)二月本州にて逝せり。云々

○ 凡河内躬恒
 かひのくにへまかりける時道にてよめる   
   夜を寒みおくはつ霜をはらひつゝ 草の枕にあまたゝひ寝ぬ
 『躬恒集』
躬恒-寛平六年(894)甲斐赴任、甲斐少目。国司

○ 甲斐大進為基かもとより故師大納言集を尋につかはしたりをしりも
大事なる所勢ありて人してかゝせてつかはしける  
    はかなさを誰かは君にかたまらし 昔の跡を尋ねはかりそ
 『頼政卿集』類従群集。巻二百四十六【成立-長承二年(1133)】

○ 隆経朝臣甲斐守にて侍ける時
たよりにつけてつかはしける  紀伊式部 寛治元年(1087)
   いつかたは甲斐の白根はしらねとも 雪降るごとにおもひこそやれ
『後拾遺和歌集』【成立-応徳三年(1086)】
隆経-治暦四年(!068)~甲斐守赴任 藤原通俊撰。

○ 兼輔の兵衛督のかも河のほとりにて、
左衛門みはるのありすけの甲斐へ下るに賎したる日よめる
君ををしむ泪おちます此川の みきはまさりてなかるへら也
 『紀貫之集』類従群集。巻二百四十九第八
有佐-寛治元年(1087)甲斐赴任。

○ かひかねの山里みれはあしたつの 命をもたる人そすみける 
『紀貫之集』五

 ○ 甲斐国にまかりけるみちにて二村山のもみちをみてよめる  橘能元   
   いくらともみえぬもみちの錦哉 たれ二村の山といひけん  

 ○『金葉和歌集』【成立-大治元年(1126)頃】
   参考  二村山(武蔵国)橘能元
 武蔵の国にまかりて二村の山のもみちをみてよめる  
   いくらとも見えぬ紅葉のにしき哉たれ二村の山といふらん

 ○ みこの宮と申しける時太宰大弐実政学士にて
 侍ける甲斐守にてくたり侍けるに餞給はすとて 治歴四年(1068)
   思ひ出はおなし空とは月を見よ 程は雲井にめぐりてあふまで
『新古今和歌集』【成立-元久二年(1205)】
撰者-通具・有家・定家・家隆・雅經・寂蓮 

小笠原、逸見牧
○ 駒 引  紀貫之
   都まてなつけてひくはをかさ原 へみの御牧の駒にや有らん
『紀貫之集』類従群集。第三 巻第二百四十七

○ 逸見の御牧(六帖夫木集云家集題駒牽甲斐或伊豆)
貫之-貞観十年(868)~天慶八年(945)
   みやこまてなつけてひくは小笠原 へみの御牧駒にや有らん 
『夫木集』【成立-延慶三年(1310) 。 (1332) 】

○ 顕仲朝臣
   小笠原へみのみまきのはなれ駒 いとゝ気色そ春はあれます
『堀川院御時百首和歌』春-類集群従。巻第百六十
 堀川天皇-承暦三年(1079)~嘉承二年(1107)

○ 春 駒  俊成卿(1190)
小笠はらやけのゝ薄つのくめは すゝろにまかふかひの黒駒 
『俊成卿五社百首』類集群従。巻第百七十六 

○ 春 駒  仲實
   小笠原すくろにやくる下草に
なつますあるゝ鶴のふちのこま 『堀川院御時百首和歌』春類集群従。巻第

○ 題しらす  僧都覚雅
   もえ出る草葉のみかは小笠原 駒のけしきも春めきにけり
 『詞花和歌集』 【成立-兼輔撰。仁平元年(1151)奉覧】
 
小笠原、美豆の御牧

○ 美豆御牧よみ人しらす
   小笠原みつのみまきにあるゝ駒 もとれはそ馴るこらが袖かも 
『六帖集』

○ 小笠原へみのみまきにあるゝ駒もとれはそなつくなりきてそとる
『夫木集』 注…美豆御牧については後述





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最終更新日  2021年04月24日 07時15分59秒
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