カテゴリ:山縣大弐
山県大弐の歴史 明和事件始末
さて、永沢町の大弐宅から逃げ出した藤井右門はどうなったことでしょう。 右門は、東海道を西に向かって走りましたが、 品川宿で捕縛され、連れ戻されたといわれています。 幕府は、この機を利用して不逞の輩を一気に捕縛するように奉行に命じました。 大弐の師であった加賀美光彰と、その子光起も捕えられ江戸表に召し出されました。 大弐の兄の昌樹も同じでした。 また、竹内式部は伊勢の友人の家に隠れている所を見つかり、 逮捕されて江戸に送られました。当時の記録で逮捕者を確かめますと次のようになります。
永沢町大弐同居 藤井右門 伊勢宇治郡 竹内式部 甲州竜王新町 山県晶樹 甲州小笠原村 加賀美光章 同 加賀美光起 阿部伊勢守家来 今村弾次 同 茂上六弥 同 内藤源五郎 永井飛騨守家来 市川清蔵 津田日向守家来 立木九郎兵衛 松平遠江守家来 朝倉立庵 土屋越前守家来 澤田東江 霊岸島医師 高橋文平 松平伊豆守家来 福島伝蔵 水野壱岐守家来 吉見長左衛門 伏原家 家来 北野大進 京都の住人 江西東三郎 江戸本町与力 豊島終吉 竹内式部の子 竹内主計(かずえ)
ここにあげた人たちは殆どが大弐の弟子・友人・恩師です。 大弐の弟子にはさまざまな人がいたことか分かるでしょう。 幕府に関係のある親藩の家来が含まれていることに興味を感じます。 大弐が、いかに優れた学者であったかか立証できる関係者たちです。 このほかにも大勢の人が逮捕されましたが、数が多いので人名は省略します。 一方、訴人した小幡藩の関係者も逮捕されました。 松原軍大夫は事実無根の訴状を直訴した罪を問われ、 軍大夫に加担した町医者の宮沢準曹禅寺の僧、霊宗、 浪人の桃井久馬、同じく佐藤源太夫などか奉行所に呼び出され、 きつい調べを受けてそれぞれ処罰されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月23日 19時14分03秒
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