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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月29日
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カテゴリ:山梨の歴史資料室

甲斐路の経路について

 東海道をはじめ、支線(支路)は輸送のための時間短縮、経費の節約を計るため、駅路はできる限り直線的につくられている。
 したがって東海道の横走駅(御殿場)より、甲斐国府を結ぶ甲斐路も、支障のない限りその計画にそって開かれたことが考えられる。 勿論その間においても、縄文・弥生時代につくられた生活の道も利用しうるものは利用し、駅の条件に適した場所が選ばれたことは当然である。
 延暦年間の富士の噴火(付表二参照)以前は、有史以前といわれる噴火(猿橋溶岩流)以外、大きな噴火の記録もないので、これらのことを考えあわせると、甲斐路の開かれた最初の経路は、
東海道横走駅-加古坂峠付近-加吉駅または水市駅(山中湖、西南側)河口駅(河口湖東側)-御坂峠-水市駅または加吉駅-甲斐国府
以上の経路が考えられる。
 その後、とくに延暦・貞観・承平・永保年間の噴火のため、セの海(西湖・精進湖)・宇宙湖(山中湖)は溶岩が流入して海は二分され、最初の甲斐路も溶岩におおわれて通行不能となり、延暦二十一年の富士の噴火以後は、当初の甲斐路より北方によった、おそらく左の経路が用いられたと考えられる。
東海道-大御神-ズナ坂峠-加吉駅または水市駅(山中湖湖畔北側、平野付近)-内野-明見-上暮地-河口駅-(河口湖湖畔東側)-御坂峠-水市駅または加吉駅(黒駒付近)-甲斐国府
建久三年(一一九二)鎌倉幕府が開かれるや、「甲斐路」は東海道が鎌倉に連絡している関係でそのまま「鎌倉往還(街道)」として、また今までどおりに都に通ずる駅路として重要視された。
『甲斐国志』に、
 「古ハ加古坂岐路ニシテ攀ヂガタカリシガ、宝永四年富士ノ噴火ノ時、砂礫吹キオロシテ谷ヲ埋メ、平地ノ如クナレリ、故ニ通路開ケテ往来自在ナリシヨリ、ズナ坂自ラ通行スル者ナシ」
 と記してある。
 すなわち宝永四年の噴火以前までは、鎌倉・室町時代の「鎌倉往還」が用いられた。宝永以後は『甲斐国志』に記してある、
石和宿-黒駒宿-本村-駒木戸番所-御坂峠藤木-都留郡河口宿-上吉田村-国界番所-駿州駿東郡須走村
 以上の如く延暦年間の富士の噴火前の甲斐路の経路に近く往還することになった。現在は「旧鎌倉往還」と称して、国道三十七、八号線となっている。最近、中央道と東名高速道路を結ぶ、「東富士道路」の着工が決定し、富士北麓の発展は、古代甲斐路を投影して、大きく変貌しようとしている。
 私註…窪田先生の研究には本当に頭の下がる思いである。先生の研究本は何時も側において読ませていただいている。先生の研究は多岐にわたり、山梨県では不毛とも云える鉄の遺跡やその窒跡や地名語源のことなどは興味をそそる内容である。
この「甲斐の古道」についてはそっくり引用させていただいたのは、部分引用では誤解を招く危険があるからである。また窪田先生の「甲斐の古道」には現在山梨県における諸説を網羅されているからである。ごく普通の考えでは人や馬は交通手段を選ぶときには危険は最大限に避けるのが普通である。 

   ▼水市駅▲

 一宮町市之蔵あるいは御坂町上黒駒付近との説も有るが、延暦19年の噴火で流出した溶岩流により出現した山中湖により、水没し たとも云われている。

   ▽加古坂△

 東海道の横走駅から須走を経て加古坂を越えて甲斐国に入る国境の坂。足柄峠と同様に、大噴火のたびに噴出物で埋まり、通行不能 となったようである。鎌倉時代は鎌倉往還として東山道に抜ける道として利用された。

   ▽横走駅△

 静岡県御殿場市付近に比定されるが、時代によって移動が有ったらしい。
 初期の奈良時代以前は駿東郡小山町の大御神付近。甲斐へはヅナ坂峠を越えて水市に至る。下って平安時代は御殿場市付近(古沢あたりか)に、平安後期から鎌倉時代に成ると、やゝ南下したらしい。御殿場市域の山神社辺りに横走御厨が置かれていたとされる。相対的にこの一帯を称して横走と云っていたようである。
 初期の東海道は東に竹之下を経て足柄峠を越すルート、京へは富士山と愛鷹山のあいだの十里木道を通ったか、富士北麓を巻いて富 士川河口付近に至るルートを用いたと考えられる。平安時代の初め、富士の大噴火で北麓を迂回する事が困難となり、足柄路が一時 閉鎖となり箱根路が開かれたが、おそらくこの時に十里木道も開かれたのであろう。平安後期になると富士の南麓を通過する道「根方道」(浮島ヶ原の湿地を避けるための)を通り、沼津市の北部に比定される車返を経て黄瀬川添いを遡り、永倉(長倉)をへて横走に至ったようである。

甲斐路の諸説に対する私見(窪田薫氏)鎌倉街道・他(『甲斐国志)

 いまの黒駒御坂路なり。中世鎌倉往還にて此名あり。甲州道中の官駅を置かざる以前は坂東諸州の往来凡て此路に係れり。
 『延喜式』曰、甲斐国駅馬、水市・河口・加吉、各五疋と本州は東海道に属す。駿河・甲斐・伊豆・相模とある順なり。
 観察使、駿州車返駅より国衙に至り、豆州三島へ出づ。又相州足柄嶺に係るれなり。
 『古事記』によれば、日本武尊此路を越え玉ふ。其文に曰亦平 和山河荒神等 而還上幸時到 足柄・坂本 於 食御粮處 云々。「即自其国越出甲斐坐酒折宮」とあり。
 『源平盛衰記』に、石橋の軍敗れて土屋三郎宗遠御使として、足柄通り甲斐へ越え彼源氏の輩に告くとあり。
 東鑑に、治承四年(1180)八月廿五日(上略)北条殿者為達事由於源氏等 、被甲斐国 、行實差同宿南光房奉 送之。
相伴僧經二山臥伏之順路、赴甲州給(下略)廿七日(上略)加藤五景員、並子息光員、景廉等、去廿四日以後三箇日之間在筥根深山 、各粮絶魂疲、(中略)送老父於湯山 (中略)兄弟赴 甲斐国、今夜亥刻着伊豆国府祓土之處、土人等怪之、追奔之間、光員、景廉、共以分散、互不知 行方、廿八日兄弟於駿河国大岡牧 各相逢、悲涙更濕襟、然後引籠富士山麓 、云々
承久中(1219~1222)武田五郎信光相具按察前中納言光親卿、於富士之裾加古坂誅とある類凡富士山の東麓より来る者は此路に西の裾野より入る者は若彦路と中路とに係るなり。各々其條下に委し。

水市駅

河口・加吉は都留郡にあり。水市の所在詳ならず。或いは云う市蔵村は其違名ならんかと。本村は下黒駒の北に在りて金川を隔つ東南御坂通り河口へ五里余、西の方国衙へ一里許り。古時の官道は此より塩田村を係りしと見ゆ。(塩田の條の詳にす)金川原は天正・文禄中の文書に狩野原宿とあり。其頃は駅の事に與かりしにや。此村は金川の南にて今小石和筋に属す。凡て市倉・市部・四日市場の村名国衙に近し皆商市の違名なるべし。

若彦路

駿河に達す。古事の官道なり。
東艦に治承四年(1179)八月廿五日の條、俣野五郎景久、相具駿河国目橘遠茂軍勢 為 襲 武田一条等源氏 、赴甲斐国、昨日及昏黒之間、宿富士北麓之處(中略)安田三郎以下(中略)自甲州 発向之間、於彼志太山 、相逢景久等、云々。
治承四年(1179)十月十三日の條、甲斐源氏、並北条父子、赴駿河国、今日暮兮、止 宿大石駅、又越 富士北麓若彦路 。  
『桜雲記』に興国二年(1341)宗良親王、駿河国に在り。(中略)車返と云う處より甲州に至り。信州へ赴く富士山の麓を通るとて、「北になし南になしてけふ幾日ふしの麓をめくりきぬらん」(李花集の同じ)
『浪合記』に応永五年(1398)尹良親王(宗良親御子、征東将軍)駿河国宇津野を出御あり。上野国へ赴き給う。(中略)丸山より甲斐に入る。武田右馬助信長の館に入れ奉りて数日御逗流ありと云々(広云う深?波合記は偽書也)
以上皆此路の往来と見えたり。府の東板垣に岐路あり、今の官道より南へ分かれ国玉の會橋と云う處出づ。高橋處にて笛吹河を済り、小石和、八代を歴て武居、奈良原より鳥坂嶺を越え芦川村に抵る嶺の上下凡そ一里余、此處に口留番所あり(自府五里)又三里して都留郡大石村に抵る。岩路盤曲大石嶺と名つく。河口湖の西に在り。富士の裾野を歴て駿州井出、大宮に出づ。今之を金王路と云う。凡て都留郡より駿州へ往還の道なり。(中略)古伝に所謂日本武噂の皇子稚武彦王受封于本州、事は酒折、武田、若神子等ニ所 記の如し。云々

中道 駿州への道 

一、河内路。二、若彦路 三、中道
笛吹川渡上曽根勝山城址間門阪向山左右口迦葉坂(柏坂)下芦川村梯村古関村(口留番所)阿難坂(女坂)精進村本栖村駿州大宮東海道吉原➡
    左 芦川鶯宿 若彦路
    西 市川

加吉・河口・水市   

『延喜式』所載の古駅なり。皆鎌倉街道に在り。水市は大石和筋に記す。河口は在本郷 今に駅役を勤む。加吉は其所不分明 。名勝志等に所記加古坂に当たり彷彿と據るべき地名なれども、富士の裾野に続き時々の山焼きに変態多き地なれば、今其と定めて知るべからず。
 『更級日記』・富士川
 まだ暁より足柄を越ゆ。…関山にとどまりぬ。(これより駿河なり)…横走りの関(傍らに岩壺といふ所)…清見ケ関…田子の浦…大井川…富士河(富士河は富士の山より落ちたる水なり)





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最終更新日  2021年04月23日 18時44分11秒
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