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支倉常長
支倉常長、幼名典市後六右衛門と称す、 伊達政宗の臣、胤六十貫二百四十三文を領し大御番組たり、 政宗大志あり、南蛮を討たんと欲す適、 西斑牙の宣教師ソテロ會堂を江戸浅草収建つ、 徳川秀忠、これを毀ち、ソテロを刑せんとす、 政宗、ソテロを乞ひて之を赦し、仙台に件ひ、 常長等をして弟子をして弟子となし、其の国情を聞かしむ、 尋で幕府の船政職向井忠勝に請ひて、常長を海外に遣り、 実際を探らしむ、 慶長十八年九月十五日、陸奥牡鹿郡月の浦を発し、 十九年一月甘五日、墨士脊のアカバルコに着し、 十月、西斑牙セビル書を呈ず、 十一月、マドリッド府に入り、 翌年一月三十日、国王に謁し、政宗の書を呈ず、 二月十七日、洗礼を受け、 九月三十日、羅馬府に至り、 十一月三日、上客の礼を以て、法王ポール五世に謁し、 政宗の書を贈品とを呈す、 既にしで使事を終へ法王の返書及玲異の贈品どを携へ、 往復淹留凡八年を経て、月の浦に帰航し、 南蛮の伐つべきを陳ぶ時に、 幕府外交の禁を厳にし、 政宗竟(つい)に初志を果さずして止む。 元和八年七月朔日歿す、年五十二 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月23日 18時27分33秒
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