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2019年04月29日
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カテゴリ:山縣大弐

山県大弐の歴史 埋もれ木の発掘

 明治維新は大変な変革でした。三百年近くつづいていた徳川幕府が崩壊し、大政が奉還されました。天皇が政治を司る時代がきたのですか、いろいろの摩擦や争いは長い間つづきました。

 このような大義名分は、明治維新から百数十年も前に、大弐がすでに唱えていた学説で「柳子新論」に記されています。大弐がいかに優れた学者であったかは、年代を調べればはっきりと分かります。

 しかし、明治の政治家たちは、目の前のきらびやかな政治体制だけに目を奪われて、思想を発掘した先人の功績を忘れたと記されていました。

 ていました、ですが、明治天収は山県大弐のことを忘れませんでした。

 明治十年の西南の役がかたづいて、世の中が落ち着きを取り戻しつつあったため、明治天皇は巡行を思い立ちました。天皇は行今に先立ちご八代駒雄を召されました。八代は、山県大弐の資料を持参し、大弐か勤皇の士であったことを奏上しました。明治十三年六月二十一日、天皇は馬車を竜王新町の小宮山貞彰宅に停め、御小休み中に侍従北条氏恭を遣わして、金剛かの墓を検分さ廿ました。さらに、小宮山貞彰の説明を受けられ、勅使を派   遣し、太政官、条実美名をもって、時の県令(知事)藤村紫郎に祭祀料金弐十円をご下賜なされました。

 県令藤村紫郎はいたく感激し、金剛寺にて山県大弐の慰霊祭を盛大におこなったと記されています。

その時の祭主は輿石守郷で、墓地は袴腰天神の所にあったといいます。袴腰天神は小さな社で、大弐の父山三郎が建てたといいます。それを、後に昌樹と大弐で修復し、現在は、亀王町の文化財に指定され、金剛寺の境内に建っています。

 明治二十四年十二月十七日、山県大弐に正四位が追贈されました。同日、山県大弐と関係のあった竹内式部と藤井右門にも、大弐と同じ正四位が贈られたと記録にあります。

 このようなことがきっかけになり、明治三ト四年に山県会が組織され、寄付金の募集が始まりました。そして大弐の学友だった広瀬中庵のひ孫広瀬和育か中心になり、山県神社創設の話か進むのです。









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最終更新日  2021年04月23日 12時25分03秒
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