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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年04月30日
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素堂45才 貞享三年(1686) 秋、「芭蕉、素堂に瓢の銘を求む」

 

 

 素堂…… 秋、芭蕉に「四山瓢名」を与える。
  一 瓢 重 泰 山   自 笑 稱 箕 山
  勿 慣 首 陽 山   這 中 飯 顆 山
 一書… 〔莫 慣 首 陽 餓〕

 

素堂…


  あるひと芭蕉庵にひさこを送れり、


長さ三尺にあまり、


  めぐり四尺にミつ。


天然みかゝすして光あり。


うてハあやし きひゞきを出す。


是をならして謳歌し


あるハ竹婦人になぞらへて、


納涼のそなへとし、


又米いるゝ器となして、


うちなしき時は朋友の許へ投すれハ滞ちて帰りぬ。


 


  予是に銘していはく


 


一瓢重泰山


自笑称箕山


  莫慣首陽山


這中飯穎山


 


  芭蕉…


 


  顔公の垣根におへるかたみにもあらず、


恵子がつたふ種にしもあらで、


我ひとつのひさごあり、


是をたくみにつけて、


  花入るゝ器にせむとすれば、


大にしてのりにあたらず。


さゝえに作りて酒をもらむとすれば、


かたちみる所なし。


ある人のいはく、


草庵いみじき種、


入べきものなりと、


まことによもぎのこゝろあるかな。


 


  隠士素堂にこふて、


これが名を得さしむ。


そのことばは右にしるす。


 


一瓢重泰山


自笑称箕山


莫慣首陽山


這中飯穎山


 


   其句みな山をもてあてらるゝがゆえに、


四山と呼ぶ、


中にも喰穎山は老杜のすめる地にして、


季白淋たはぶれの句あり。


素翁の季白にかはりて我貧をきよくせむとす。


かつ、むなしきときは塵の器となれ。


得る時は、一壷も干金をいただいて、


黛山もかろしとせむことしかり。


 


  ものひとつ瓢はかろき我よかな  芭蕉


 



   《註》… この瓢は後に二代目市川団十郎(俳名、柏筵)の手に入り、歴代の市川家に  伝えられたが、関東大震災の折焼失した。
 《註》… 市川団十郎について
 山梨県三珠町は歌舞伎の市川団十郎の発祥の地であると云い、立派な歌舞伎会  館建っている。『近世奇跡考』によれば、
  江戸の俳優市川団十郎は堀越重蔵といふ者の子なり。慶安四年辛卯(165  1)、江戸に生まれる重蔵は下総国成田の産(或云、佐倉播谷村の産、役者大  全に云ふ、市川村なり)
  江戸にうちり住。曾て任侠を好み、番随院長兵衛、唐犬十左衛門と友たり。  団十郎生まれて七夜にあたる日、唐犬十左衛門、彼が幼名を海老蔵となづけた  るよし。初名を段十郎とよび、後に團十郎に更む。曾て俳諧を好み、舊徳翁才  麿の門人となり俳號を才牛といふ。(中略)
  延宝三年(1675)五月、木挽町山村座、凱歌合曾我といふ狂言に、曾我  五郎の役を始めてつとむ。時に二十五才。延宝八年(1680)不破伴左衛門  をつとむ。
  衣装の模様、雲に稲妻のものずきは、
   稲妻のはしまで見たり不破の関
  といふ句にもとづきたるよし、『江戸著文集』に見ゆ。

 《註》…  歌舞伎俳優の俳号について
  江戸や大阪を中心に歌舞伎俳優の俳諧活動は盛んで、『俳文学大事典』によ   ると、初代市川団十郎は才麿を師と仰ぎ、自ら才牛と号した。その子二代目   団十郎は格別に風流に親しみ、其角の門に入り、三升・才牛・栢筵と号し、   著書『老のたのしみ』其角、破笠等との交流などが記されていると云う。
   素堂はこの初代市川団十郎と並び称された俳号「少長」の中村七三郎〔寛   文二年(1662)生、~宝永五年(1708)歿、年四十七才〕との交流   が深く、『梅の時』には素堂の序が掲載されている。

 《註》… 『日本随筆大系』巻の四、「寸錦雑綴」作者不詳。には素堂筆の「四山の銘」 のある米櫃は、
  芭蕉庵米櫃、柏筵所持 五粒に伝え今は三桝に 蓋木黒ヌリ。
  伝懇望〆一見写之
 とあり、銘が掲載されている。素堂の号は「葛飾隠士素堂」とある。

 《註》… 『日本随筆大系』巻の十四、山口素堂「立軸臺表具」『一話一言』大田南畝  著。芭蕉庵家蔵として「四山の瓢」がある。
 興味があるのは、号で、素堂山子、花押、我思古人とある。

《註》… 四山の瓢-『鵲尾冠』越智越人編、巻頭。享保二年(1717)刊。
歳 旦
 此発句は芭蕉、江府船町の囂に倦、深川泊船堂に入ラれし、
 つぐる年の作なり。茶碗十ツ、菜刀一枚、米入るゝ瓢一ツ、
 五升の外不レ入、名を四山と申候。
 似合しや新年古き米五升   芭蕉












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最終更新日  2021年04月23日 05時13分24秒
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