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2019年05月03日
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カテゴリ:著名人紹介

徳田秋声 とくだしゅうせい 【作風】

 

昭和2年『日本文学大辞典』による

 

紅葉門下として硯友社の流れを汲んであるにも拘らず、その作風には最初から硯友社のそれとは自ら相異なるものがあった。

処女作[薮柏子]などに於いてすら、すでにそれが多少ほのかに見えている。それは彼の作家としての個性の成長と共に益々明瞭となって行った。

彼の出世作となった「雲のゆくえ」などに於いては、なおロマンチックな要素が多分に含まれていた。

作者自身すでにこの作に不満であったことを告白している。早くから比較的多く外国文学に接していた彼には、期せずして自然派が目指していたと同様な人生探究的な欲求が萌えていた。その当然の結果として一歩一歩とその硯友社的、俗流的傾向から脱却していった。

明治三十八年刊の短篇集「花束」の序文や、長篇「少華族」の序文中に、彼が人生沢的意向を漏らしていることは、すでに彼の研究家によって指摘されている。「少華族」の序文中に於いて、作者はすでに「真摯なる人生の描写」を云々しているのであるが、これこそかの自然派たち、藤村や花袋の熱心に追い求めていた同じ目標に外ならなかった。而してそれは必ずしも彼が花袋等のそれに迎合したとのみは考へられない。その素質的なものと、その素養とが、自らこの展開へと導いたと考え得る理由がある。この間の消息を最も雄弁に語るものは、短篇集「秋聲集」中に納められた諸作である。

かくて彼の一作一作と築き上げて来た精進は、遂に四十一年の「新世帯」となって現われた。この作を一度発表した後の彼はもはや押しも押されもしない自然派作家の一人であった。而も「新世帯」の一篇は、彼の自然派作家としての登場であったばかりでなく、作者自身の一つの完成でもあった。言ってみれば、これ以前の諸作はすべて習作であったと言っても必ずしも過言ではない。このことは単に作の傾向内容に就いてのみならず、その技巧に就いても言ひ得る。その作風の最も特徴的なものは冷徹峻厳なその客観的態度と、所謂無技巧の技巧と称せられた質実なうまみとであるが、その二つながら、この作に於いて完成されたかの感がある。硯友社的な派手な、そして作意的な手法を見事に克服した後の、所謂艶消しにされた簡潔ではあるが鋭い技巧が、随所に閃いている。そしてこの作に於ける人生渋的な傾向は「足述「徴」に於いて一層深められ、その技巧は「爛」に於いて一段と洗練され、また「あらくれ」に於いて、この作全体がその極限にまで高められ、彫琢鏤刻を経た完成味を示した。

「新世帯」と「あらくれ」とは所詮は同系統の作であるが、後者は一層完成された姿を示している。これには「足迹」や「黴」に見られるような人生派的否定的な暗さもなく、瑣末的な煩雑さも払い去られて、一脈の明るさと精力的なものが感ぜられ、その後の作風の一つの傾向を示している。

一方彼は「新世帯」と殆ど同時に「出産」の如き優れた短篇を書いている。これは「秋聲集」中の諸作の完成した一つの姿である。又「出産」は「徹」と共に最も完成した私小説としても記憶さるべき作である。

大正期に入ってからは、自然主義そのものが行きづまり、彼も亦「爛」「あらくれ」を書いて後、一時沈滞に陥ったが、すでに「あらくれ」の中に示された肯定的な傾向の中に、益々円熟した技巧を併せて作者自身の道を開拓して行った。

而して「奔流」以後の彼の傾向は、凡そ三つに分けて見ることが出来る。

  1. 婦人雑誌・新聞向の通俗小説、例えば「秘めたる恋」「誘惑」「二つの道」など、

  2. 身辺雑事を淡々と描いた心境小説、

  3. 作者の社会的苦悩を盛った、例エば「元の技へ」「逃げた小鳥」「未解決のまゝに」「犠牲」などの階作の如きがそれである。

その心境小説の中にも「蒼白い月」「籠の小鳥」などの老熟した心境の澄徹を示した作もあるが、やはり社会的苦悩を盛った作に、より優れた作がある。「未解決のまゝに」「元の枝へ」などが即ちそれである。ごく最近の作風は心境の深まると共に、現実を見るがまゝに諦視るといったような、より肯定的な方向へ進んで来ている。

 

【史的地位】

 

日本の自然主義文學運動は田山花袋によって指導されたが、実際に自然主義文学を確立完成した者は花袋でも藤村でもなく、無論白鳥でもなく、実に秋声であった。「新世帯」「徹」「爛」「あらくれ」の諸作は、ただに秋声の傑作であったばかりでなく、自然主義的作品の最高水準を示したものである。

自然主義文學の完成者が、紅葉門下として登足したこの作家であったということは、甚だ興味ある事実であるが、その最も大きな理由は、飽くまで冷徹な客観的作風に由来するものであろう。どこまでも突放し切るその態度は、明治・大正の文壇を通じても全く比類のない特異的な存在であって、この素質こそ彼をして自然主義文学を完成せしめたのである。

併し彼は必ずしも心底からの自然派作家ではなかった。「爛」「あらくれ」などにも、すでにその片鱗を示しているように、次第に余裕ある態度を見せ、文學の技術家としての技巧を示すようになっていった。

舟橋聖一氏は早くこの早くこの点を指摘して、

「日本の生んだ最も偉大なる職業的小説家」

だといっている。そのいつまでたっても涸渇しない芸術眼の閃めきにも、その天成的な作家としての秋聲の風格が窺はれる。

 






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最終更新日  2021年04月22日 15時41分19秒
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