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山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

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2019年05月05日
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カテゴリ:山口素堂資料室

山口信章素堂は、寛永十九年一月四日の生まれ(『連俳睦百韻』による。『甲斐国志』は五月五日とする。)長じてからの通称を太良兵衛、後に松兵衛、信章は本名であるか雅号なのか不明。『国志』には素堂が官兵衛・市右衛門を名乗ったとあるが、数ある資料にも全く見えない名前である。幼名については「重助」と(国志は「重五郎」)も言ったと云う記述もある。

『国志』(素堂没後百年余してから刊行された)に依れば、

素堂は其の先は州(甲斐国)の教来石村山口に家す。これによって氏名とする。後に府中(甲府)の魚町に居を移す。家は頗る富んで、当時の人は山口殿と称す。信章は寛永十九壬午五月五日に生れた。故に重五郎を童名とする。長じて市右衛門と改める。つまり家名である。

 

と記す。後に「官兵衛」を称したと云うのである。

 冒頭で生国について紹介しなかったは、素堂の「甲山紀行」(元禄八年・一六九五)で「亡妻のふるさとなれば、さすがになつかしくて」とあり、自分は甲斐の生まれでは無いかのような記述をしているからである。また府中で「舅野田氏を主とす」ともある。

『国志』では代官触頭桜井氏に対して「父母の国なれば」と手伝い要請を受けたと記している。これは『甲山記行』には記載が見えない。野田氏については詳らかでは無いが、町奉行か代官を務めた人であると思われる。

また祇空門の夏目成美は『随斎諧話』(文政二年刊行・一八一九)に「素堂は甲斐国の産なり。酒折の宮の神人(飯田氏)真蹟を多く伝へり」と記し、同年代の『俳家奇人談』(玄々一編文化十三年刊行・一八一六)では「江戸の人」と紹介している。 

ところが教来石村について素堂の親友芭蕉や、直弟子と称する馬光(素丸)は旅の途時に、この地を経ているのに素堂の故地とは伝えていない。

寛政・文化頃の教来石宿の俳人塚原甫秋や、その子幾秋等は芭蕉には熱心ではあるが、同じ村の出身とされる素堂には触れないし、山口にも懐旧談くらいは在っても良いと思うが、素堂の伝承については不思議なくらい無いのである。尤も、塚原親子については、もっと研究する必要が有りそうである。

また同じく下教来石の生まれで江戸で材木商を営み晩年故郷で過ごした河西九郎須(俳号素柳)も同様である。

 

素堂が元禄八年に亡き母の生前の願い身延詣でを果たすために来た折に記した『甲山記行』には、素堂が時の代官桜井孫兵衛に会い、『甲斐国志』の云うような「濁川改浚工事」の経緯については記されていない。ただし元禄八年の素堂甲斐入りについては後に甥の黒露が主催編集した追善集「みをつくし」(明和六年冬刊行・一七六九)に、編者の一人久住が「露叟の扉は府の柳町といふにつゝきし緑町と申所なり。町つゝきのおもしろきにや。むかし素堂も此所にしはし仮居せられしとなん」と記している。

県内外の古書店をはじめ図書館巡りを始める。仕事の合間の調査活動であり時間の遣り繰りに苦慮する。各地の知人からの調査協力もありは思わぬ進展を生む。素堂の足跡は芭蕉関係の書に多くの記載があり、その抽出を重ねる。しかし『国志』以前のものには素堂が教来石村字山口はおろか甲斐との繋がりさえ実証する文献一向に現れてこない。『国志』は素堂が没後百有余年を経て編纂されたもので「素道」(素堂は生涯、素道は名乗っていない)として紹介されその筆調は他に見えない講談調で、この項は素堂の事蹟が主ではなく、元禄九年の甲府代官桜井孫兵衛の事跡を素道の項を借りて記載した内容で、その基は濁川の傍らにある「桜井社」と孫兵衛の親族である斎藤正辰建立の孫兵衛の「顕彰碑」である事も解かった。素堂の事蹟は顕彰碑には記載はなくそれを窺う記述も見えない。又現存する桜井社の建立も孫兵衛の死後で生祀では無いことは明白になった。(孫兵衛の没年は享保十六年、建立は十八年)






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最終更新日  2021年04月22日 05時38分35秒
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