カテゴリ:山口素堂資料室
◇延宝3年(1675) 素堂34才 号信章 **『俳文学大辞典』角川書店 ** 四月、宗因、東下し諸家と交流。江戸談林の連衆、宗因発句を得て『談林十百韻』刊(跋)。大反響を呼び、談林が宗因流新風の総称となる。この年、西鶴、剃髪し、法師となる。 ▽素堂、『宗因歓迎百韻』、素堂(信章)入集。 いと涼しき大徳也けり法の水 宗因 軒を宗と因む蓮池 礎画 反橋のけしきに扇ひらき来て 幽山 石壇よりも夕日こぼれる 桃青 領境松を残して一時雨 信章 雪路をわけし跡の山公事 木也 或は曰月は海から出るとも 吟市 よみくせいかに渡る雁がね 少才 四季もはや漸く早田刈ほして 似春 あの間此間に秋風ぞふく 執筆 夕暮れは袖引次第局がた 畫 座頭もまよふ戀路なるらし 因 そびへたりおもひ積て加茂の山 青 室のとまりの其遊びもの 山 草枕おきつ汐風立わかれ 也 一生はたゞ萍におなじ 章 わびぬればとなん云ひしもきのふ今日 才 それ初秋の金のなし口 市 十年を爰に勤て袖の露 因 おほん賀仰ぐ山のはの月 春 春は花□の頃は西の丸 山 参内過て既に在江戸 賀 時を得たり法印法橋其外も 章 (以下略) ▽素堂、『俳諧繪合』発句二入集。高政編。 扨ハそうか夢の間おしき時鳥 信章 富士山や遠近人の汗拭ひ 々 【高政】生歿不詳、元禄十五年(1702)六十代半ばで生存。一説には元禄十六年(1703)歿とも伝えられる。本名は菅野谷高政。号は惣本寺伴伝連社。京都の宗匠で、はじめ貞室系後に宗因門、京都談林俳諧の中心的人物で、『惣本寺俳諧中庸姿』やこの『俳諧繪合』を著した。代表句 世の中の夢盗人のほとゝぎす ▼素堂 漢詩文を得意とする 不易流行論 漢詩文を得意とする素堂は一派に属さず天和調とも云われる漢詩文調の句を多作する。この頃の素堂の句は「字余り」も多いが、これは余すことで詩情を余韻を良くし、貞門俳諧以来の外形的形態を満たし、素堂ならではの高踏らしさの感動を顕しているのである。 素堂の俳諧感が遺憾なく現れているのが貞享四年(1687)其角の編んだ『続虚栗』の序文である。これは一部の識者も認めている「不易流行」論は、芭蕉に先がけ素堂が唱えたことである。芭蕉没後の門弟たちの「芭蕉俳論」の根底をなす俳論の裏側には素堂の考えが横たわっていたのである。(『続虚栗』の項で詳細な解説)
◇延宝4年(1675)素堂34才 号信章 延言四年春 天満宮奉納二百韻 永我編 三月刊 ▽素堂、三月、桃青(芭蕉)・信章(素堂)『江戸両吟集』 ** 其の一 ** 1 此梅に牛も初音と啼つべし 桃青 2 ましてや蛙人間の作 信章 3 はる雨のかるうしやれたる世の中に ヽ 4 酢味噌まじりの野邊の下萌 青 5 すり鉢にわか紫のする衣 ヽ 6 むかし働の男ありけり 章 7 胝のひらけかゝりし空の月 ヽ 8 爪立てゆく足曵の山 青 9 五寸ほど手のとゞかざる哥の道 章 10 ひとかひあまり住よしの松 青 11 淡路島仕形ばなしのよそに見て 章 12 友呼ぶ千どり笑ひ聲なる 青 13 青鷺の又白鷺の權之丞 章 14 森のした風木葉六ぱう 青 15 眞葛原踏れて這て迯にけり 章 16 虫啼までにむごうなびかん 青 17 戀の秋爰にたとへの有ぞとよ 章 18 吉祥天女もこれ程の月 青 19 あつらへの瓔珞かゝる山かづら 章 20 松の嵐の響く耳たぶ 青 21 大黒の袋は花にほころびて 章 ▽素堂、三月、桃青(芭蕉)・信章(素堂)『江戸両吟集』 ** 其の二 ** 1 梅の風俳諧諸国にさかむなり 信章 2 こちとうづれも此時の春 桃青 3 さやりんす霞のきぬの袖はえて ヽ 4 けんやくしらぬ心のどけき 章 5 してこゝに中頃公方おはします ヽ 6 かたぢの雲のはげてさひしき 青 7 海見えて筆の雫に月すこし ヽ 8 趣向うかべる船の朝霧 章 9 いかに漁翁こゝろえたるか秋の風 青 10 實に土用也あまの羽衣 章 11 うつ蝉もよし野の山に琴ひきて 青 12 青有らしふくひとよぎりふく 章 13 松杉の木間の庵京ばなれ 青 14 糞擔桶きよし村雨の宿 章 15 夕陽に牛ひき帰る遠の雲 青 16 老子のすがた山の端がくれ 章 17 寓言のむかしの落葉かき捨て 青 18 桐壺はゝ木々しめぢ初茸 章 19 鍋の露夕の煙すみやかに 青 20 釘五六升こけらもる月 章 21 古里のふるがねの聲花散て 青 『江戸両吟集』 山口信章(後素堂)と両吟にて菅神奉納の二百韵を試み、延宝四年春三月『江戸両吟集』の標題にて開板せるものである。後、延享四年(1747)一浮齋盛水「芭蕉素堂両聲たる梅花の韻は亡父一葉一永が古文庫より出たり」とて此一巻を「梅の牛」の題名としたものが世に行なわれる。『江戸両吟集』は今その所在を知らず、文政四年(1821)三月柳亭種彦が古板本より筆写せるもの、並に『奉納貳百韵』と題せる別写本を本文とし「梅の牛」及び「一葉集」と對校した。(「芭蕉一代集」『日本俳書大系』所収。)
『江戸両吟集』の解説 『素堂の俳諧一』「談林の時代」清水茂夫氏著 54 山椒つぶや胡椒なるらん 桃青 55 小枕やころころぶしは引きたふしは 信章 56 台所より下女の呼び声 桃青 57 通ひ路の二階は少し遠けれど 信章 58 かしこは揚屋高砂の松 桃青 (江戸両吟集 此の梅にの巻)
55、の信章の附句の「小枕」は女の髦の根に入れる木で、小さく円い形をしたものである。「ころころぶし」は前句の山椒を受け、俗に「ころり山椒味噌」という浮世草子などに見える慣用句によっている。一句は女の髪の小枕をあげ、髪も乱れて小枕ころころ転ぶ様に女のころころ転び臥す様を懸け、続いて引たふしはと男の女を引き倒す様を表わしている。女の臥す様、男の引き倒す様は前句の山椒粒や胡椒粒が散乱した状態にも比すべきであろうと前句に応じている。 56・ 57・58の句も場面は異なっているが、全く庶民的な愛欲の様相を露骨に表現しているのであって、人間自然の愛欲を肯定し、それへの賛歌が端的 に歌われていると言えよう。云々。
▽素堂、『俳諧當世男』発句一入集。蝶々子編。(俳号、信章) 何うたがふ弁慶あれバ雪女 【蝶々子】生没年不詳。元禄四年(1691)までは在命で、七十才前後か。神田氏、また平野氏。本名政宣。伊勢国和歌山の生まれ、江戸に下り創世期の江戸俳壇第二世代として活躍。素堂はこの集と『玉手箱』に入集している。
▽素堂、『到来集』発句二入集。胡兮編。(俳号、信章) 坂部胡兮『到来集』(延宝四年の撰也 ) 花の坐につかふ扇も用捨哉
▽素堂、『草枕』両吟百韻一巻入集。旨恕編。(俳号、信章) 未見。 《註》上巻には、宗因巻頭、元順・西鶴・信章らとの両吟・三吟・四吟など九巻を所収。『定本西鶴全集』13 【旨怨】生没年不詳。明暦~元禄ごろ。延宝期に『草枕』など相次いで刊行。貞享以後は連歌に専念、貞享四年に法橋に叙せられた。
◇延宝5年(1677) 素堂36才 ▽素堂、『江戸三吟』桃青・信徳 ・信章(素堂) 『江戸三吟』五年冬から六年春にかけて。刊行は翌六年。 ** 其の一 ** あら何ともなや昨日は過てふぐと汁 桃青(松尾芭蕉) 寒さしさって足の先まで 信章(山口素堂) 居合ぬき霰の玉やみだるらん 信徳(伊藤信徳) 拙者名字は風の篠はら 青 相応の御用もあらば池の邊 章 あみ雑喉がかり折ふしは鮒 徳 醤油の後は濁れば月すみて 青 更てしばしば小便の露 章 聞耳や餘所かあやしき荻の聲 徳 難波の聲は伊勢の與茂一 青 屋敷がたあなたへさらりこなたへも 章 かはせ小判や袖にこぼるゝ 徳 もの際にことわりしらぬわが涙 青 干鱈四五枚是式の戀を 章 寺参り思ひ初たる衆道とて 徳 (以下略) **其の二** さぞな浄瑠璃小うたはこゝの春 信章 霞とゝもに道化人形 信徳 のつぺいうしと鴨の鳴くらむ 徳 山陰に精進落て松の聲 青 三十三年杉たてる庵 章 青い顔笑ふ山より雲見えて 青 土器の瀧のめば呑ほど 章 聲がたつあらしに浪の遊び舟 徳 鴈よ千どりよ阿房友達 青 五間口寂しき月に其名をうれ 章 松を證據に禮金の秋 徳 手かけ者相取のやうに覚えたり 青 思ひのきづなしめ殺しゝて 章 木綿売ある夕暮の事なるに 徳 門ほとくと敲く書出し 青 鎌田殿身体むきを頼まれて 章 二人の若の浪人小性 徳 竹馬にちぎれたり共この具足 青 続けやつゞけ紙張の母衣 章 ところてん水のさかまく所をば 徳 浪せき入て大釜の淵 青 **其の三** 物の名の蛸や古郷のいかのぼり 徳 仰く空は百餘里の春 青 腰張や十方世界法の聲 章 凡そ命は赤土の露 徳 いつ迄か炮碌売の老の秋 青 峯の雪かねのわらじの解初て 章 千人力の東風わたる也 徳 熊つかひむかへば月の薄曇り 青 水右衛を笑ふ初かりの聲 章 墨の髭萩の下葉の移ひぬ 徳 尾花が袖に鏡かさうか 青 判はんじいかなる風の閑にふく 章 夫は山ぶし海士のよび聲 徳 一念の鯰となりて七まとひ(鯰は鰻か) 青 かたちは鬼の火鉢いたゞく 章 紙ふりの伊勢の国より上りけり 徳 神のいがきもこえし壁ぬり 青 縄ばしご夜の契りや切つらむ 章 さすがわかれのちんば引見ゆ 徳 骨うづきしのび笠にて顔かくし 青 立出るよりふまれたる露 章 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月22日 05時06分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[山口素堂資料室] カテゴリの最新記事
|
|