カテゴリ:俳人ノート
連歌師 心敬僧都 しんけいそうづ
『俳家奇人談』
散る花音聞く程の深山かな
連歌師。紀伊国に生まれ、三歳で上洛して僧となった。 正徹に和歌を学び、やがて心恵の名で連歌合に顔を見せるようになった。 四十六歳の時に名を心敬に改め、土一揆で荒廃した寺を去り紀伊に下った。 その後、一度帰洛したが、応仁の乱前夜に江戸に向かい、 関東を転々としてその生涯を終えた。宗祇や兼載の師にあたる。 代表作に『心玉集『ささめごと』等がある。 一四七五年(文明七年)没。七十歳。
連歌師 荒木田守武 あらきだもりたけ
靑柳の眉かく岸の額かな
連歌師・俳人。伊勢内宮の神官荒木田守秀の息子で、 守武自身も後に長官の位に就き、薗田長官と称せられた。 早くから連歌に秀で、『新撰菟玖波集』にも一句入集している。 宗祗・宗長・肖柏に学び、 俳諧史上はじめて千句の独吟連句を試み『守武千句』を詠じた。 これによって俳諧が文学の一分野として確立されたことから、 宗鑑と共に俳諧の祖といわれている。 一五四九年(天文十八年)没。七十七歳。
連歌師 柴屋宗長 しばやそうちょう
連歌師。駿河国島田の鍛冶職人の子。 今川義忠に仕え、十八歳で剃髪し、後に大徳与一休の禅門に入った。 晩年は今川氏親のために様々な政治的な画策を行った。 宗祗を師とし、『璧草』、『宗長百番連歌合』等の句集、 『連歌作例』『雨夜の記』等の俳論書、 他に日記紀行『宗長子記』『宇津山の記』がある。 禅はもとより、古典、連歌、俳諧全般につうじた中世末期の代表的連歌師であった。 一五三二年(享禄五年)没。八十五歳。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月21日 17時59分25秒
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