2298801 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

山梨県歴史文学館 山口素堂とともに

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2019年05月08日
XML
カテゴリ:山口素堂資料室
素堂の生涯・江戸災害

  江戸の火事 『むさしあぶみ』より引用。(1)

   
1) 寛永十八年(1641)正月廿九日
 子の刻桶町より出火、八千余軒を焼亡し、翌朝日夜戌の刻に止む。
 (町数九十七丁。武家屋敷千食う百二十四軒)
 《この火事は日本橋桶町(南槙町と南大工町の間、現在の中央区八重州四丁目の辺り)
から出火し、二日二夜燃えつづけ、江戸開府以来の大火となった。なおこのとき、町奉行
加々爪民部少輔忠澄が殉職したともいう。

2) 明暦三年(1657)正月十八日十九日
 江戸大火(本郷丸山)
 《江戸時代最大の火事、本郷丸山の本妙寺から出火し、俗に「振袖火事」ともいい、焼
死者十万七千余人戸伝えられる。

3) 明暦四年(1658)正月十日
 御茶の水より出火し、新橋一丁目に至る。
 (丁数二百九丁半、家数四千四百二十一軒類焼)

4) 万治三年(1660)正月十四日
 湯島天神前より出火し、霊岩島に至る。
 この年正月より三月二十五日迄に出火およそ百五度という。

5) 万治四年(1661)正月十九日
 江戸大火。
6) 万治四年(1661)正月二十日
 元鷹匠町より出火し、木挽町に至り、申の刻鎮火す。
 (武家五十余軒、丁数十一丁、家数七百八十七軒類焼)

7) 寛文八年(1668)二月朔日
 午の刻、牛込横寺町より出火し、日本橋に至る。
 (武家二千四百軒、寺百三十六軒。町数百三十二丁、百姓百七十軒類焼)
  
8) 寛文八年(1668)二月五日 
 辰の刻、四ツ谷より出火し、品川大仏に至る。
 (赤坂、青山、麻生、三田寺町、芝大仏)

9) 寛文十年(1670)二月朔日
 午の刻牛込榎町酒井修理太夫邸より出火し、芝金杉海岸に至る。未の刻本郷御茶の水よ
り出火し日本橋に至る。

10)寛文十年(1670)二月四日
 巳の刻、四谷与力町より出火し品川に至り丑の刻に鎮火す。申の刻に下谷寺町より出火
し、永代島に至る。

11)寛文十年(1670)六日
 午の刻に小日向より出火し。飯田町に至る。

12)延宝四年(1676)十二月廿六日
 江戸大火、寅の刻筋違橋より出火。

13)天和二年(1682)十一月廿六日
 巳の刻、牛込川田窪竹町より出火し、芝札の辻に至る。
 (巳の刻、川田窪竹町より出火し、四谷、赤坂に至り、同刻麻布上杉弾正大弼屋敷より
出火し、芝札の辻に至る)

14)天和二年(1682)十二月廿八日
 末の刻本郷追分より出火し本所三ツ目に至る。
 (註…この火事を八百屋お七の放火によるものとされているが、実はこのとき既に、お
七は伝馬町につながれ、御仕置を待つ身であった。

15)天和三年(1683)十二月五日
 亥の刻、通塩町壱丁目より出火。

16)元禄八年(1695)二月八日
 未の刻四谷石切り伝馬町より出火し、芝金杉海手に至り、寅刻に鎮火す。
 (万石以上八十七軒、千石以上四十二軒、寺三百七十三ケ寺、町数三十町余、町屋六万
七千四百五軒)《註…この火事に、紀伊大納言別邸も焼失せり》
  
17)元禄八年(1695)十二月廿六日
 数寄屋橋より出火し、新橋辺東西二十町、南北八町余焼失す。

18)元禄十一年(1698)九月六日
 南鍋町新橋より出火し、千住掃部宿に至り、長さ三里余、横四十町焼失す
 (註…この時、東叡山御仏殿炎上す)

19)元禄十一年(1698)十二月十日
 石町二丁目より出火し、佃島に至る。長さ二里余、横二十町焼失。

20)元禄十二年(1699)四月四日
 日本橋釘町より出火し、神田見付に至る。長さ二十七町、横十五町。

21)元禄十五年(1702)二月十一日
 辰の刻、四谷大木戸より出火し、品川に至る。長さ二里余、横十一町。
 (註…申の刻鎮火し、この時、麻布御殿、品川御殿炎上す)

22)元禄十六年(1703)十一月十八日
 午の刻四谷北伊賀町より出火し、芝札の辻に至り、戌の刻鎮火す。
 (註…この時、紀伊殿並びに鶴姫君御守殿炎上す)

23)元禄十六年(1703)十一月廿九日
 戌の刻、小石川水戸邸より出火し、深川永代島八幡後に至る。
 (この時、湯島天神祠、神田明神祠、昌平坂大成殿、筋違橋郭門焼失す)

24)宝永三年(1706)正月十四日
 神田連雀町より出火し、浜町に至り、七十丁余を延焼す。

25)宝永四年(1707)正月十五日
 申の刻、浜町新同心より出火し、南本所業平塚に至り、寅の刻に鎮火す。
  

26)宝永四年(1707)□□日
 亀井町より出火し、永代島に至る。

27)宝永四年(1707)八月朔日
 隆(立)慶橋より出火し、小石川に至る。

28)宝永七年(1710)十二月十九日
 未の半刻、神田小柳町より出火し、霊岸島に至る。長さ二十五町、幅三、四町より七、八町に至る。

29)正徳元年(1711)正月四日
 未の刻、芝土器町より出火し、海辺に至り、夜の入りて鎮火す。

30)正徳元年(1711)正月十九日
 和泉町より出火し、霊岸島に至る。

31)正徳元年(1711)十二月十一日
 申の刻、神田連雀町より出火し、霊岸島に至り、寅刻に鎮火す。

32)正徳二年(1713)二月八日
 浅草観音裏より出火し、本所四ツ目に至る。長さ三里余、幅十三丁。

33)正徳三年(1714)十二月廿二日
 辰の刻、下谷池の端より出火し、長さ一里十八町、幅十三町を焼き丑の刻に鎮火す。
 千三百余家を焼亡す。(この時の死者三百人という)

34)正徳五年(1715)十二月晦日
 夜八つ時、大名小路より出火し、芝口に至り翌正月元日未の刻鎮火す。

35)享保元年(1716)正月十一日
 酉の刻、下谷池の端より出火し、霊岸島に至る。

   
   江戸の自然災害

  津波(『江戸・東京の地震と火災』山本純美氏著)

1) 延宝八年(1680)○ 素堂、三十九歳。

 延宝八年八月六日水災では、正午から二時頃までに台風による風害で約三四二○戸の倒
壊があった。ぢかし満潮時の午後二時頃南風が強いなかを津波が本所(隅田区南部)深川
(江東区西部)芝(港区東部)築地、八丁掘、浜町(中央区東部)に寄せてきたため、溺
死者七○○人を出している。この時は横須賀に至るまで被災した。『玉露叢』には、「高
潮のあぐること所により家の床より四尺五尺、或は七尺八尺、又は床の上五寸三寸もあり
、前代未聞の沙汰なり。」とあって最大二メ トル以上も冠水した。

  台風

1) 明暦二年(1656)○ 素堂十五歳。
2) 明暦二年八月二十二日  台風 。
3) 宝永元年(1704)○ 素堂六十二歳。

4)宝永元年七月五日 大雨 
 七月五日水災では、利根川と中川の堤防決潰があった。『武蔵通志』には「葛西本所の
辺に漲して大に水害を蒙る」とある。七月五日以来の大雨で七月一日は隅田川永代橋と両
国橋は危険となって渡橋は禁止された。七月三日の利根川猿が股堤防決潰で葛飾一帯は冠
水した。当時の聞き書き記録である『月堂見聞集』には「津波の如く一面大川に成り」と
ある。
 七月五、六日は本所・深川で床上六尺(1620メ トル)に増水したうえ、大地震が
頻発したため、その恐怖は想像に余りある。云々 
(私註…当然素堂の家も芭蕉庵もこの災害に遭遇している。素堂京都に避難か)

  地震

1)正保四年(1647)五月十四日  江戸川東京湾地震帯 素堂、六歳。 

2)慶安二年(1649)六月二十日  江戸川東京湾地震帯 素堂、八歳。(大地震)

3)慶安二年(1649)七月二十五日 地震帯不明
 
4)元禄十年(1697)十月十二日  鎌倉大地震 素堂、六十一歳。
  
5)宝永三年(1706)九月十五日  江戸川東京湾地震帯 素堂、六十四歳。
  
 慶安二年の地震では江戸城の石垣が崩れ、上野寛永寺にあった大仏は頭部が割れて落ち
た。民家の被害は大。
 元禄十六年十一月二十二日、関東地方の江戸から小田原にかけて被災た。この時、『月
堂見聞集』という伝聞記録によると、江戸中の土蔵は残らず崩壊し、数寄屋橋見附門の倒
壊で死者四十人を出した。津波も江戸橋まで押し寄せている。関東一帯での死者は五二三
三と伝えられる。震源地は房総半島であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年04月21日 17時52分03秒
コメント(0) | コメントを書く
[山口素堂資料室] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

山口素堂

山口素堂

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

9/28(土)メンテナ… 楽天ブログスタッフさん

コメント新着

 三条実美氏の画像について@ Re:古写真 三条実美 中岡慎太郎(04/21) はじめまして。 突然の連絡失礼いたします…
 北巨摩郡に歴史に残されていない幕府拝領領地だった寺跡があるようです@ Re:山梨県郷土史年表 慶応三年(1867)(12/27) 最近旧熱美村の石碑に市誌に残さず石碑を…
 芳賀啓@ Re:芭蕉庵と江戸の町 鈴木理生氏著(12/11) 鈴木理生氏が書いたものは大方読んできま…
 ガーゴイル@ どこのドイツ あけぼの見たし青田原は黒水の青田原であ…
 多田裕計@ Re:柴又帝釈天(09/26) 多田裕計 貝本宣広

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X