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2019年05月11日
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カテゴリ:著名人紹介

寿屋入社 サントリ- 佐治敬三氏著 『私の履歴書』より 

 

一部加筆

 

 ところが、占頷は静々として行われ、旧軍隊もついに武器をもって占領軍に立ち向かうことはなかった。

三浦半島には横須賀の海軍基地かある。米軍攻撃のかっこうの標的とおもわれたが、実はこの地域には一発の爆弾も投下されることはなかった。おかけで、大船の第一海軍燃料廠も自宅のあった鎌倉も戦災をまぬがれ、結局私は日本中でもっとも安全な場所に身を置いていたこととなった。

大阪の父の宅は、郊外にあって戦災を免れたが、港区にある寿屋の主力大阪工場は、六月一日の大阪大空襲の犠牲となり、一物ものこさず焼失き、父は顔面に火傷をうけたとの知らせが届いていた。

 大阪にもどり港の工場跡地に立って、見事なまでに完全に破壊された姿に言葉もなかった。東の方はるかに大阪城の天守閣が見える。目をさえぎるものとてない。瓦礫の大阪市がそこにはあった。

寿屋にとって何よりも幸いであったのは、山崎工場が全く無傷で残されたことであった。このことは、どれほど神に感謝してもすぎることはない。工場では、なによりも大事なウイスキーの樽を空爆や火災から守ろうと、横穴を掘ったり谷に埋めたり懸命に死守していたが、その必要もなかったのは僥倖といってよい。たとえ一発でも焼夷弾が命中すれば、ひとたまりもなく樽の中味に火がついて、あたり一面大の海と化したであろうことは明らかであった。こうして残された血と汗の結晶ともいうべき原酒をもとにして、戦後の寿屋の復興がはじまるのである。

 
 昭和二十年十月、私は寿屋に入社した。

 

この頃の佐治敬三行状記は、

「やってみなはれ みとくんなはれ」

と題した弊社の七十年社史の開高健の文章に詳しい。

「復員してからは秀才らしからぬ姿勢で、家でごろっちゃらとしていた。

おやじがつぎからつぎへとつれこむ米軍将校の接待はしていたものの、

おうおうとして楽しまぬところあり、宴果てると、

すぐさま部屋にこもって、ごろっちゃらとひっくりかえる。

畳にひっくりかえったまま、畳の目をプチプチとむしった。

そういう日常を繰り加えしていた」。

 占領軍加和歌山に上陸して、完全武装の姿で大阪に入ってきたのは、

九月二十七日のことであった。その司令部が新大阪ホテルに置かれた。

父は日ならずして単身でウイスキ一本ぶらさげ司令官に面会を求め

「これがわてのウイスキーだす。ひとつ飲んでみとくんなはれ。

よかったら軍のためにこれからも遣らしてもらいまっさかい、買うてもらえまへんやろか」。

「オーイエス。ベリーグッドウイスキー。オーケーオー・ケー」。

右は司令官との架空会見記だが、

とにもかくにも父は米軍相手の正常な商取引によるウイスキーの売り込みに成功したのである。

当時はその商売のお得意様、米軍将校を相手の接待が、雲雀丘の自宅で毎夜の如く聞かれていた。

大阪での下士官連中のお相手は私の役目。

英語に強いわけではない私にとっては地獄の責め苦、

つかれはてての帰路、電車の吊り革につかまっていると、

向こう三人両隣の日本人の会話がことごとく英語にきこえる。

ひどいときにはトイレの水音までが英語という極限状態に至っていたが、

よくしたむので、そのうちに相手の英語が一語一語離れて聞こえるようになる。

勿論すべての言葉が理解できるわけではなかったが、何とはなしに要領を得られるようになる。

以来語学に対してある種の自信をうえつけられたように思われる。

 進駐軍への納入は、しかし大蔵省の喜ぶところではなかった。

軍納品は無税だから、いくら売っても税金が入らない。

官僚の中の意地の悪いのが、わが社の虎の子の原酒を供出させて、

原酒をもたない同業に流そうというたくらみまでやる始末であった。

 






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最終更新日  2021年04月21日 17時35分29秒
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