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2019年05月11日
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カテゴリ:著名人紹介

創造 サントリ- 佐治敬三氏著 『私の履歴書』より 

 

 昭和二十五年に寿屋はオールドを発売している。オールドは戦争のはじまろうとする昭和十五年に、すべての準備を終えて発売しようとしていた商品である。ところが価格統制令が実施されて、ウイスキーの最高価格が角瓶で抑えられたために、お蔵入りを余儀なくされていた、いはば幻の名酒であった。満を持して発売したオールドは、満天下の人気を集めることができた。今でも当時のことをご存知の方から

「オールドはほんまに高嶺の花でしたな」

となつかしがっていただくことがある。

 一方で「うまい安いトリス」によってウイスキーの広いすそ野を拓きながら、一方ではより高いサミットを目ざした。ウイスキ-の品質向上に努力をおしみなくつぎこんでいたのである。

サントリーオールドは突如として花を咲かせたわけではない。それには日本におけるウイスキー創製という父の志に発する夢の歴史があった。父が山綺のウイスキー工場にその生涯の夢をかけだのは、大正十二年のことである。それ以来、すべての利益と汗と涙をこの谷間の蒸溜所に注ぎこんできた。

昭和四年、ようやく自社発売、このときのネーミングにはスコッチを向こうに廻して堂々の勝負をいどもうという気概があふれている。候補に上がったのは、一つは「口-モンド」。ロッホーローモンドはスコットランドの美しい湖、民謡にもうたわれている、全くのスコッチ名。

今一つは自らが名付けた「サントリー」。サンは太陽、赤玉ポートワインの商標、トリーは自分の名前である。かくして日本最初のウイスキーは「サントリー白札」と命名されたのである。

 当初はスコッチの模倣であったと言われるが、程なくそれにあきたらなくなった父の、ジャパニ-ズウイスキー創造への苦難の途がはじまる。日本人のために、日本人が造った、日本のウイスキー。日本のウイスキーとは飲んでおいしいウイスキーである。

 スコッチウイスキーは、もともとブリテン島北部のヒースに覆われた不毛の地、スコットランドの奥地に生まれたスピリッツであった。チャーチルはその著書の中でこう述べている。

「わが父はスコットランドの山野へ猟に出かける時ででもなければ、ウイスキーなど

決して口にしかことはなかった。父の時代の飲みものはブランデーソーダであった」。スコッチはストレートであるという説かおる。ウイスキーグラス(この頃では見かけることがまれになった三十CCばかりの小さなグラス)のウイスキーをぐっと、のどの更にほうりこむように飲みほす。ほとんど舌の上の妹背のつけ入る余地はない。それにひきかえ日本入の酒の飲み方は、お猪口(ちょこ)に口を上せて、オットットと吸いこみ、歯ぐきのすみずみ、舌のすみずみまで粘膜や妹背を喜ばせた後、喉越しを楽しむ。飲み方の違いによって同じウイスキーでも大きな差が生じるわけである。父の求めた日本人のウイスキーは、かくして飲んで味覚嗅覚のすべてを楽しませるウイスキーであった。そうしたウイスキーのうまさは、世界に通じるものであるとの信念を私達は持ち続けている。

 山崎工場のブレンダー大西が何本かのウイスキーをさげて自宅にやってきて、父の指示をうけてあれやこれやとまぜ合わせては利き酒をする、ウイスキーのブレンドを試みていた姿が思い出される。

ブレンドこそがウイスキー造りの生命である。私は二十年近く社長である父の身近にあったわけだが、父は唯の一度もブレンドを息子に教え上うとはしなかった。

「そんなもん教わって出未るもんやおまへん。やりたかったら勝手におのれの甲  
   斐性でやんなはれ」。

一子相伝など眼中にない、父の気持ちはそんなことではなかったか。私はただ自らの思いのまま、さまざまに試行錯誤をくりかえすばかりであった。

昭和三十年頃から父は社業の第一線を離れ、自らは背景の中に退いていった。ブレンドの責任もまた、私の肩にかかってきたのであった。






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最終更新日  2021年04月21日 05時57分50秒
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