カテゴリ:山口素堂資料室
素堂66才 宝永四年(1707)『風の上』雷堂百里編。
嵐雪追善集」
「嵐雪を悼む辞」
嵐雪子は芭蕉の翁とひとしく、予が市中に住みし頃より逢なれて、凡そみそちあまりの奮知音也。 芭蕉翁みまかりて何となく遠さかりけるに、いつれの年か、重陽のあしたになりて、
かくれ家やよめなの中に残る月
と詠せしを、今にわすれす、其の後洛陽に遊ひしころ、 大津の浦四の宮にて本間左兵衛(丹野亭)勧進能の沙汰を聞てまかりけるに、 嵐子も彼浦にありて、山本氏の別業にて、 両三日かたらひそれより高観音にうそぶき、からさきにさまよひ、 八町の札の辻にて、たもとをわかちしより、面会せず。 指を屈して数ふれば早七とせに及べり。其もとおもかけ今日にあるはことし。 近き頃は禅味を甘なひ、ひたすら佛の道にそみて終焉にも心たかはすとききて、 頼もしく覚え侍る。又蕉翁の宗祇法師の 「さらに時雨のやとり哉」 といへる句を行脚の笠にいだきてついに時雨の比に終りぬ。 嵐子もその願ひありけるにや。時雨のころのたかはねも、又々あはれならすや。
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最終更新日
2021年04月18日 14時22分20秒
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